九州二十四地蔵尊霊場 第七番札所 甘木高野山 高野寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第七番札所 甘木高野山 高野寺 九州二十四地蔵尊霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第七番札所 甘木高野山 高野寺

甘木高野山高野寺は、老後、下の世話をして貰わなくても良いとの御利益がある地蔵尊で、別称「嫁いらず地蔵」とも呼ばれ篤い信仰を集めています。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

甘木高野山 高野寺
(御朱印)

創建

大正7年(1918年)

宗派

高野山 真言宗

ご本尊

弘法大師(寺ご本尊)
紀州高野山より大正7年にお受けした由緒ある仏様

嫁いらず地蔵尊(霊場ご本尊)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

福岡県朝倉市菩提寺588 TEL 0946-22-5228
(地図)

アクセス

西鉄甘木線・甘木鉄道線 甘木駅より徒歩5分
西鉄バス 西鉄バス甘木営業所より徒歩0分
境内に駐車可

ご詠歌

此の世から 導き給え 次の世へ 嫁の手入らず 南無地蔵尊

老後下の世話をして貰わなくても良いとの御利益がある地蔵尊

高野寺は甘木鉄道線・西鉄甘木線の終点の甘木駅近くに伽藍を構えている

筑後 現在の久留米市に江戸の初期現当二世の願いのもとに阿弥陀如来と延命地蔵尊のお堂が建立されました。
阿弥陀如来には極楽浄土を願い、地蔵尊にはこの世において健康で幸せな生活をお願いしていました。
特に地蔵尊には老後における下(しも)の世話をしてもらわくて済むようにとの願いから、いつの頃からか新しい下着は必ず地蔵尊の前において祈願してから身につけることが習慣になりました。
その霊験が非常にあらたかだったので、嫁の手がいらない嫁いらずの地蔵尊」だと呼ばれ信仰を集めました。

その後、都市化により、阿弥陀如来様は久留米市寺町の医王寺でお祀りすることとなり、地蔵尊はここ甘木の高野寺に安置され「嫁いらず地蔵尊」として九州二十四地蔵尊の七番札所の本尊として祀られています。

境内入口の石表柱の間を進むと霊場ご本尊がお祀りされている「地蔵堂」が左手にあります。
別名「嫁いらず地蔵尊」とは、年をとっても嫁に下の世話をしてもらわなくて良いというご利益があるからと伝わります。

九州二十四地蔵尊霊場 第七番札所 甘木高野山 高野寺

さらに進むと正面に本堂があり、大正7年に紀州高野山よりお受けした由緒ある弘法大師坐像がご本尊として安置されています。

境内は平地で1800坪もあり、とても広々としています。
ご本尊、霊場ご本尊をお参りした後、境内を見学させていただくと、本堂脇には不動明王像が、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を従えて凛として立っておられます。

また1月13日に「虚空蔵祭り」が行われる虚空蔵堂や、恵比寿像、弁財天像などもあります。

南無大師遍照金剛

現在では護摩祈願された下着が、肌守りとして用意されているそうです。 

九州二十四地蔵尊霊場第八番札所 常住金剛山 浄心院

次回は、九州二十四地蔵尊霊場第八番札所「常住金剛山 浄心院」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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