九州二十四地蔵尊霊場 第二十一番札所 瑠璃山 恵光院

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九州二十四地蔵尊霊場 第二十一番札所 瑠璃山 医王密寺 恵光院 九州三十六不動尊霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第二十一番札所 瑠璃山 医王密寺 恵光院

恵光院は、筥崎八幡宮の「結縁寺」として、歴代座主の墓所があり菩提を弔っております。そのため廃仏毀釈の難を逃れ、数多くの仏像・仏画等の什物が移され今日に残され、神仏習合の時代における筥崎宮社坊の歴史を知る上で貴重なものとされています。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

瑠璃山 医王密寺 恵光院
(御朱印)

別称

延命地蔵尊

創建

寛永年中(1624年~44年) 黒田忠之 開基 法印正範大和尚 開山

宗派

高野山真言宗

ご本尊

薬師如来坐像(本堂内)

ご真言

おん ころ ころ せんだり まとうぎ そわか

霊場ご本尊

延命地蔵尊(境内地蔵堂内)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

ご詠歌

生かされし 命尊び 延命の 地蔵菩薩に 合わす両の手

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

西院河原地蔵和讃

これは この世の 事ならず  死出の 山路の すそ野なる
西院の河原の ものがたり  聞くに つけても 哀れなり
二つや 三つや 四つ 五つ  十にも 足らぬ みどり児が
西院の河原に 集まりて  父 恋し 母 恋し
恋し恋しと 泣く声は  この世の声とは 事変わり
悲しさ 骨身を とおすなり  かのみどり児の 所作として
河原の石を 取り集め  これにて 回向の 塔を組み
一重組んでは 父のため  
二重組んでは 母のため
三重組んでは ふるさとの  兄弟 我が身と 回向して
昼は 独りで遊べども  日も 入りあいの その頃に
地獄の 鬼が 現れて  やれ 汝らは 何をする
娑婆に 残りし 父母は  追善 作善の つとめなく
ただ 明暮れの 嘆きには  むごや 可愛いや 不憫やと
親の 嘆きは 汝らが  苦げに 受くる 種となる
我を 恨むる 事なかれ  くろがねの 棒をのべ
積みたる 塔を 押し崩す  又 積め積めと 責めければ
おさな子 余りの 悲しさに  まこと 優しき 手を合わせ
許し たまえと 伏し拝む  罪(つーみー)なく思うかや
母の 乳房が いでざれば  泣く泣く 胸を 打つ時は
八万地獄に ひびくなり  母は 終日 疲れにて
父が 抱かんと する時は  母を 離れず 泣く声は
天地 奈落に ひびくなり  言いつつ 鬼は 消え失せる
峰の 嵐の 音すれば  父かと 思うて はせ登り
谷の 流れと 聞く時は  母かと思うて 馳せ下り
あたりを 見れども 母も無く  誰とて 添え乳 なすべきや
西や 東に かけめぐり  石や 木の根に つまづいて
手足は 血潮に 染めながら  おさな心の あじきなや
砂を 敷きつつ 石枕  泣く泣く寝入る 折りからに
又 清冷の 風吹けば  皆 一同に 起き上がり
ここや かしこと 泣き歩く  その時 能化の 地蔵尊
ゆるぎ 出でさせ 給いつつ  何をか 嘆く おさな子よ
なんじら 命 短くて  めいどの 旅に 来るなり
汝が 父母 娑婆に有り  娑婆と 冥土は 程遠し
われを 冥土の 父母と  思うて 明け暮れ 頼めよと
幼き者を 御衣の も裾の 内に 掻き入れて
哀れみ給うぞ ありがたき  いまだ歩まぬ 幼子を
鉛杖の 柄に 取り付かせ  忍辱 慈悲の みはだに
いだきかかえて なでさすり  大悲の 乳房を 与えつつ
泣く泣く 寝入る 哀れさは  たとえ がたなき 御涙
袈裟や 衣に したしつつ  助け給うぞ ありがたや
わが子を ふびんと 思うなら  地蔵菩薩を 念ずべし
南無や 大悲の 地蔵尊
南無や 大悲の 地蔵尊

住所・連絡先

福岡市東区馬出5-36-35 TEL 092-651-5133
(地図)

アクセス

JR箱崎駅より徒歩10分
地下鉄箱崎宮前駅より徒歩2分
駐車場あり

生かされし命(第二十一番札所 恵光院)

宇佐、石清水両宮と並び日本の三大八幡宮の筥崎宮の程近くに恵光院はあります。
恵光院は高野山金剛峯寺の末寺で、明治時代の廃仏毀釈により筥崎宮周辺の多くの社坊が廃されたり併合される中、唯一残存した社坊です。
そのため筥崎宮や各社坊にあった多くの仏像、仏画、仏具などが恵光院に移され、現在に至ってはいずれも文化財指定を受け、神仏分離以前の歴史を知る貴重なものとして伝えられています。
また社坊中唯一存する寺院として八幡宮守護の法燈を守り、筥崎宮の歴代座主、祀官各家の霊牌を安置し供養しています。

参道は2ヶ所ありますが、筥崎宮表参道側より入るのが恵光院の表参道のようです。

山門をくぐり左手脇に地蔵堂があります。
お堂の中には九州二十四地蔵尊霊場のご本尊の等身大の石仏・延命地蔵尊が親しみと慈悲を感じさせてくださるお姿で、水子地蔵尊や大日如来様と共にお祀りされています。

山門より正面に銅葺屋根の本堂、右手に庫裡と並んでいます。
庫裡に霊場参拝の旨を告げると本堂に上がってお参りするように促されました。

本堂には中央に恵光院のご本尊・薬師如来と弘法大師、右手に弁財天、毘沙門天、大黒天、左手に不動明王、愛染明王、弥勒菩薩の尊像が安置されています。
そしてご本尊の前に密教法具の「五鈷杵」が置かれていて触れることが出来ます。

本堂でのお参りを終え境内に戻ると広さは然程でもありませんが、実に整然と四国八十八ヶ所霊場や西国三十三ヶ所霊場、地蔵堂、五大明神社、燈籠堂などが並んでいます。

とりわけ天正15年に豊臣秀吉が筥崎宮在陣中、千利休と共に茶会を催した燈籠堂には箱崎の海から出現したと伝わる石仏の十一面観音菩薩を本尊として安置されています。

堂の前に植えられている菩提樹は6月ごろ満開となるそうです。

南無大師遍照金剛

今回は九州二十四地蔵尊霊場 第二十一番札所としての恵光院にスポットを当ててお伝えしましたが、恵光院は九州三十六不動尊霊場第三十五番札所ともなっています。
不動霊場の御朱印等の記事は、後日改めてお伝えいたします。

お陰様で九州二十四地蔵尊霊場も結願することが出来ました。
なお第二十二番札所「東長寺」、第二十三番札所「隆照寺」、第二十四番札所「文殊院」は九州八十八所百八霊場のカテゴリーに先行公開してありますのでご参照ください。

次回は九州三十六不動尊霊場第三十五番札所にスポットを当てた「恵光院」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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