九州三十三観音霊場 第十八番札所 水浄山 興福寺

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九州三十三観音霊場 第十八番札所 水浄山 興福寺 九州三十三観音霊場
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九州三十三観音霊場 第十八番札所 水浄山 興福寺

興福寺は日蓮宗のお寺です。文明年間(1469年~87年)隈部氏一族が観音菩薩を勧請し、堂宇を建立しましたが、その後、寛文6年に再建し興福寺と改めたそうです。黄金色の釈迦如来像がが列をなし、進学や出産祈願などの拝観者も多いそうです。

『概略』

水浄山 興福寺

創建

寛文6年(1666年) 元立院 日円

宗派

日蓮宗

ご本尊

一塔両尊四菩薩

一塔両尊四菩薩(四士)について

一塔両尊四菩薩または四士は長八角形の蓮華座中央にお題目を大書した宝塔を建て、その左に釈迦牟尼仏、右に多宝如来を奉安し、その下段には脇侍(きょうじ)として地涌(じゆ)の諸菩薩の代表である上行(じょうぎょう)菩薩(内側右)、無辺行(むへんぎょう)菩薩(外側右)、浄行(じょうぎょう)菩薩(内側左)、安立行(あんりゅうぎょう)菩薩(外側左)の四大菩薩を奉安する、日蓮聖人が説示された法華経世界(大曼荼羅本尊)に基づく日蓮門下独特の奉安形式の略称です。

お題目

南無妙法蓮華経

住所・連絡先

熊本県菊池市大平367 TEL 0968-24-1329
(地図)

アクセス

JR熊本駅から熊本電鉄菊池温泉行きバスで1時間10分、菊池プラザ下車、タクシーで10分
門前に駐車場有り

ご詠歌

立渡る 身のうき雲も はれぬべし たえぬ御法の 鷲の山風

金色の仏像群に迎えられて(第十八番札所 水浄山 興福寺)

興福寺は日蓮宗のお寺です。文明年間(1469年~87年)隈部氏一族が観音菩薩を勧請し、堂宇を建立しましたが、その後、寛文6年に再建し興福寺と改めたそうです。
さらに、正徳年間(1711年~16年)には甲斐国(現・山梨県)の身延山より鬼子母神を勧請し、毎年3月28日には、開帳し盛大にお祭りが催されるそうです。

観光バスも駐車できるほどの駐車場より参道を進むと、その両脇には釈迦如来像がが列をなし、その尊像たちに見守られながらの参拝となりました。
山門をくぐると正面に本堂があり、上人がおられる時は参拝も可能だそうです。

私自身、日蓮宗の参拝の仕方もよく存じ上げていないので、とりあえず「南無妙法蓮華経」と唱えさせていただきました。

本堂参拝の後、境内へと戻り、こちらもまた金色に輝くお釈迦様に囲まれていた九州三十三観音霊場のご本尊の聖観音立像に参拝してこの日の巡礼を終えました。
こちらの観音菩薩さまは京都の今野観音寺から迎えられたものだそうです。

霊場ご本尊 聖(しょう)観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

ご真言

おん あろりきゃ そわか

南無妙法蓮華経

九州三十三観音霊場 第二十番札所 西高野山(白山) 普門院 大徳寺

次回は、九州三十三観音霊場 第二十番札所「西高野山(白山) 普門院 大徳寺」をお伝えしていきます。
なお、第十九番札所「白蓮山 金剛寺」は九州八十八所百八霊場ですでに公開してありますので、ご参照ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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