宝積寺は中世に宝積禅寺としてこの地に祀られていました。明治の廃仏毀釈により一時は廃寺となっていましたが、昭和に入り復興されました。
ご本尊の大日如来坐像は柿材を用いた寄木作りで、脇侍の造毘沙門天立像とともに日田市有形文化財となっています。
『概略』
日輪山 宝積(ほうしゃく)寺
創建
天文10年(1541年) 源 義重 開基
昭和38年(1963年) 真鍋師 中興
宗派
真言宗
ご本尊
大日如来坐像
大日如来について
大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。
大日とは「大いなる日輪」という意味で、密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。
そしてすべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。
諸尊は大日如来の徳をそれぞれが分担し、衆生救済にあてられているその働きも大日如来の徳の顕現であると説かれています。
大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの捉え方があります。
金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。
そして胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。
この智慧と慈悲が揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がっています。
さらには、未・申年生まれ守り本尊でもあります。
ご真言
おん あびら うんけん ばざら だとばん
住所・連絡先
大分県日田市山田町1147 TEL 0973-23-2397
(地図)
アクセス
JR久大本線 光岡駅より車で10分
BRTひこぼしライン 大鶴駅 車で8分
ご詠歌
みをたのみ 心にちかふ 観世音 めぐみをうける 宝積の寺
日田市有形文化財とともに・第八番札所 日輪山 宝積寺
通称・自衛隊道路とか山田原越えと言われる道路の山田原を抜けて一旦下り、また上り坂を登ると左側に今回の目的地の入口が見えてきます。
参道の入口には2本の柱が立っていて、左の柱には大日如来を示す梵字の下に日輪山 宝積寺とあり、右の柱には九州三十三観音霊場第八番札所とあります。
階段を登ると釣鐘のある鐘楼門があります。
更に階段を登りきると両脇に狛犬が祀られていました。
そして、正面に本堂があります。
また本堂の正面右側には牛の石像もありました。
この牛の石像といい、狛犬といい、かつての神仏習合を彷彿とさせる境内です。
牛の石像の横には、宝積寺に祀られている木造大日如来坐像と木造毘沙門天立像の日田市有形文化財の説明板があります。
本堂にはその他にも不動明王、聖観世音、阿弥陀如来が安置されています。
お堂の左側には九州三十三観音霊場第八番札所とあります。
中には、ぼけ封じ観音と千手観音が祀られています。
左奥にもお堂があり、2体の石像が治められています。
左側は地蔵菩薩と、右側には弘法大師像です。
霊場ご本尊 聖(しょう)観世音菩薩について
別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。
南無大師遍照金剛
本堂前の縁側には、三本足のカエルがあり、健康と財宝の神様だそうです。
次回は、九州三十三観音霊場 第九番札所「穴井山 蓮華院 仏生寺」をお伝えしていきます。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌
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