九州三十三観音霊場 第十七番札所 起雲山 含蔵禅寺

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九州三十三観音霊場
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含蔵寺は鎌倉時代の創建と伝えられ、元は十一面観音・不動尊・毘沙門天の観音三尊を奉じた天台宗で高森城主代々の菩提寺でした。天正年間、高森落城の際、兵火にあって、その後禅刹に改められました。三尊は現在の観音堂に安置されています。

『概略』

起雲山 含蔵禅寺

創建

鎌倉時代 文渓 和尚

宗派

曹洞宗

ご本尊

釈迦牟尼仏坐像

釈迦如来について

釈迦如来は、古代インドの小国の釈迦族の王子として、本名はゴータマ=シッダールタです。妻や子供もいて実在しましたが、28歳で王位継承者の地位を捨て、四苦(生・老・病・死)から解放される道をもとめ、各地の先覚や修行者を訪れ、6年にわたる苦行を経てガヤー村の菩提樹の下で大悟を得て仏陀(覚者)となった仏教の始祖です。
釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。
また釈迦如来は、唯一現世で悟りを開いた人物とされています。

釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています。また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。
この世で一番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。
このときの姿をあらわしたものが、4月8日の花まつり仏生会灌仏会(ぶっしょうえ・かんぶっえ))に祀(まつ)られ、誕生釈迦仏と呼ばれています。

29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん、釈迦族の聖者という意味)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました。
この頃は人々に説法を説いていたそうです。

その後、45年間インドの諸国を説法して巡り教えを広めましたが、80歳に達した釈迦は死期を悟られ、クシナーラー域外の沙羅双樹下でかけつけたお弟子達に囲まれながら最後の説法を行い、自ら頭を北にし顔を西に向け横臥の姿で入寂され涅槃に入られたと伝えられています。

また釈迦如来を中心に文殊・普賢菩薩を脇侍とする釈迦三尊像も多くみられます。
密教尊としての釈迦如来は、人々を救済し、なすべきことを成就し、煩悩を消滅し涅槃を得る大日如来の智徳をつかさどる仏となっています。

悟りを開いた釈迦如来が残した様々な教えや言葉はお経として現在も使われています。

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

住所・連絡先

熊本県阿蘇郡高森町大字高森1809 TEL 0967-62-0036
(地図)

アクセス

南阿蘇鉄道 高森駅より徒歩で約12分
門前に駐車場有り

ご詠歌

万法を ふくみかくせる 寺なれば 功徳をここに 有難きかな

森閑とした古刹(第十七番札所 起雲山 含蔵禅寺)

含蔵寺鎌倉時代の創建と伝えられ、もともと十一面観音・不動尊・毘沙門天の観音三尊を奉じた天台宗の寺院で、代々高森城主の菩提寺でした。

その後、享禄年間(1528~32年)に高森氏により建立されたといわれています。
戦国時代の天正14年(1586年)島津氏との戦いで高森落城のとともに高森氏は滅び、含蔵寺も廃寺同然となりましたが、江戸時代、細川氏の時代となり、寛文6年(1666年)高森氏旧臣で高森手永惣庄屋・武田忠左衛門が武田家の菩提寺として新たに堂宇(建物群)を建立し、貞享3年(1686年)中興一世、納川禅師により禅刹に改めてられ復興をされました。
本尊を釈迦如来に変え、以前の本尊である観音三尊を現在の観音堂に安置したとされています。
中興第三世、独前箭卓立禅師の徳を重んじて、藩主細川宜紀は、30石の知行および九曜の紋章と直筆「起雲山」の扁額を寄進したことにより、「起雲山含蔵寺」となり、境内には高森城主の高森伊予守惟直や家臣の墓があり、阿蘇三十三札所(第十九番札所の一つである観音堂もあります。

門前の駐車場より石段を上ると「九州三十三観音霊場第十七番札所」と書かれた表札が掲げられて山門が迎えてくれます。

山門をくぐり、立派な鐘楼があります。
また正面には本堂があり、こちらのご本尊は釈迦牟尼仏です。

さて、右手のいしだんを上ると観音堂があり、こちらにもともとのご本尊であった十一面観音・不動尊・毘沙門天の三尊が安置されています。
この観音堂は行基菩薩の開基とも伝わり、子安観音として尊崇を集めています。

霊場ご本尊 聖(しょう)観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

ご真言

おん あろりきゃ そわか

南無高祖承陽大師

九州三十三観音霊場 第十八番札所 水浄山 興福寺

次回は、九州三十三観音霊場 第十八番札所「水浄山 興福寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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