啓蟄ごろの風物詩・東大寺二月堂のお水取り

風物詩
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春を告げるとも言われる、奈良時代から続く「修二会」が東大寺二月堂で行事として行われます。
修二会は東大寺が有名ではありますが、他にも薬師寺法隆寺長谷寺などでも盛大に行われています。
その中で東大寺の修二会はもともとは旧暦の2月1日から15日に行われていましたが、現在では新暦の3月1日から14日に行われ、練行衆と呼ばれる11人の行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳をもって興隆仏法・天下安泰・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願する行事です。
そこで「修二会」について東大寺を例にとって、少し詳しくお伝えしていきます。

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修二会とは

修二会の正式名称は「十一面悔過じゅういちめんけか)」と言います。*薬師寺などは「薬師悔過(やくしけか)」と言われています。
十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩(「大観音」「小観音」と呼ばれる二体の十一面観音像で、いずれも絶対の秘仏で練行衆も見ることができません)の前で、懺悔(さんげ)することを意味しています
二月に修する法会という意味をこめて「修二会(しゅにえ)」または「修二月会(しゅにがつえ)」と呼ばれるようになりました。また東大寺二月堂の名もこのことに由来しています。

仏教では人間の心を蝕むもっとも根本的な三つの煩悩を毒に喩えて三毒と呼んでいます。
すなわち、貪欲(とんよく:むさぼり)・瞋恚(しんい:いかり)・愚癡(ぐち:教えを知らないこと、無知)の三つで、略して「貪瞋癡(とんじんち)」ともいわれています。

私たち人間は無限の過去世から、いうなれば本来的に貪瞋癡(とん・じん・ち)と呼ぶ煩悩をもっており、これが原因で、体や言葉や思いを通してさまざまなまちがいを犯してしまいます。

さらにこれらの罪過の積み重ねが結果として災禍を生むと理解し、災禍の原因である私たちのあやまちを仏さまの前で懺悔し、許しを請うことによって、災いの無い世界の実現を期すると同時に、幸福をも呼び込もうとするのが「悔過(けか)」の法要なのです。

このようなことから、練行衆が悔過(けか)・懺悔(さんげ)の行をつとめ、罪過を取り除くと共に、四季の恵み、国土の安寧、そして人々の平和と幸福、地球上の全てのいのちが輝けるよう讃仏礼拝の行に昇華して祈りを捧げるのが、「修二会」の行法(ぎょうぼう)ということができます。

東大寺初代別当・良弁僧正の命日にあたる12月16日の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が華厳宗管長から発表されます。
明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えていきます。
そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂において修二会の本行が勤められます。

東大寺お水取り日程

12月16日・・・お水取り(修二会)参籠の練行衆(れんぎょうしゅう)交名発表

2月12日・・・新入習礼(該当者がいる場合)
初めてお水取り(修二会)に参籠する僧侶(新入)は声明(しょうみょう)の節の稽古や暗記が充分にできているか全参籠経験者の前でテストされます。

2月15日・・・新入・新大導師別火入り(該当者がいる場合)
初めてお水取り(修二会)に参籠する僧侶(新入)と初めて祈願を司る行法全体の導師を勤める新大導師が他の練行衆に先駆けて別火(前行)に入ります。

2月18日・・・二月堂でお水取り(修二会)で使用する灯明油の油はかり
平衆を率いお水取り(修二会)の進行を司る堂司が立ち会って、お水取り(修二会)で灯明に使用する菜種油の油はかりが行われます。

2月20日・・・戒壇院別火坊で試別火(ころべっか)開始
試別火は2月20日から26日(閏年は27日)まで行われます。試別火ではお水取り(修二会)での声明(しょうみょう)の稽古、行中に仏前を飾る南天や椿の造花作り、灯明に使う各種灯心の準備、紙衣(かみこ)を作る為の仙花紙(せんかし)絞り、二月堂内で履く履き物(さしかけ)の修理、牛玉箱(ごおうばこ)というお札を入れる箱の包み紙の新調、 守り本尊の補修などが行われます。

2月26日・・・戒壇院別火坊で惣別火(そうべっか)開始
惣別火2月26日(閏年は27日)から2月末日まで行われます。惣別火では紙衣(かみこ)という仙花紙(せんかし)で作った紙の衣に着替え、特定の場所以外で私語が一切禁止され、食事など以外で湯茶を自由に飲むことができず、所作・作法が厳しくなります。練行衆(れんぎょうしゅう)は下七日の声明の稽古、行中に使う糊たき、二月堂内で刷るお札の紙を折る作業、ホラ貝の稽古、堂内の荘厳に使う椿の枝に造花を取り付ける作業などを行います。

3月1日~3月14日・・・二月堂でお水取り(修二会)本行
本行は3月1日の午前1時頃に行われる授戒から始まります。本行では六時【日中(にっちゅう)・日没(にちもつ)・初夜(しょや)・半夜(はんや)・後夜(ごや)・晨朝(じんじょう)】に悔過作法(時)が行われます。ちなみに本行では練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、大松明を持った童子(どうじ)が練行衆に付きます。なお12日は後夜の悔過作法(時)の途中に咒師(しゅし)以下の練行衆が二月堂下の若狭井(閼伽井屋(あかいや))に水を汲みに下がります。

3月15日・・・満行
錬行衆(れんぎょうしゅう)が被っていた兜のようなだったん帽達陀帽)を子供の頭に被せ、健やかに育つように祈願します。

練行衆

修二会を行う行者は練行衆と呼ばれる11人の僧侶で、三役や仲間(ちゅうげん)、童子(大人である)と呼ばれる人達がこれを補佐する。
ちなみに練行衆は堂内の席の位置によって、北座衆・南座衆に分かれます。なお練行衆は現在11名だが、かつてはもっと人数が多く、 上七日と下七日で練行衆が交代していたそうです。

練行衆のうちでも特に四職(ししき)と呼ばれる4人は上席に当る。四職は次の通りである。

和上(わじょう)

練行衆に授戒を行います
和上は食堂の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)に向かって自誓自戒した後、練行衆全員に守るべき八斎戒(殺生、盗み、女性に接することなど)を一条ずつ読み聞かせて「よく保つや否や」と問いかけます。
大導師以下、練行衆は床から降り、しゃがんで合掌し、戒の一つ一つに対して「よく保つ、よく保つ、よく保つ」と三遍誓います。
なお3月8日にも改めて授戒が行われますが、これは昔、前半後半のかく日間で練行衆が入れ替わっていた時の名残りのようです。

大導師(だいどうし)

行法の趣旨を述べ、祈願を行います。
事実上の修二会の総責任者で通称「導師さん」と呼ばれています。

咒師(しゅし)

密教的修法を行います。。

堂司(どうつかさ)

行事の進行と庶務的な仕事を行います。
通称「お司」と呼ばれています。

以上が四職と呼ばれる4人の上席で、これ以外の練行衆は「平衆(ひらしゅ)」と呼ばれる。
平衆は次の通りです。

北座衆之一(きたざしゅのいち)

平衆の主席

南座衆之一(なんざしゅのいち)

平衆の次席

北座衆之二(きたざしゅのに)

南座衆之二(なんざしゅのに)

中灯(ちゅうどう)

書記役

権処世界(ごんしょせかい)

処世界の補佐役。通称「権処さん

処世界(しょせかい)

平衆の末席法要の雑用役

また練行衆を、三役である堂童子(どうどうじ)、小綱兼木守(しょうこうけんこもり)、駆士(くし))、随伴緒役の童子仲間(ちゅうげん)、加供(かく)の人々が支え、行事を進行させていきます。

お松明

 お松明

その一連の法要の中でも二月堂の舞台を走り振り回される「お松明」がシンボル的存在ですが、この松明はもともと行を始める練行衆が「登廊」と呼ばれる石段を登る際の道明かりとして焚かれたものです。
室町時代の絵では50cmくらいのいまのチョロ松明程度のものであるが、江戸時代に徐々に大きくなり童子に寺から禁制が出されたが童子が見せ場を願い、そのまま今のように巨大化し演じるようになりました。
一人の童子が松明をかざして、後に一人の練行衆が続き、入堂された後に、その松明を舞台(欄干)に回り、火を振り回します
その後、裏に回り水槽で消され、上がってきた登り廊を降りていきます。
本行の期間中連日行われますが、12日は一回り大きな籠松明が出て、舞台を駆け回るので見応えがあります。
また、12日以外の松明は10本ですが、12日のみ11本の松明が上堂します。
12日以外の日は、新入は先に上堂して準備をしているため10人、12日だけは準備をしてから一旦下堂するので11人の上堂となるためです。
この12日の松明は籠松明といわれ、長さ8メートル、重さ70キログラム前後あり、バランスを取るため、根が付けられています。
他の日の松明は長さ6~8メートル重さ40キログラム。
籠松明以外は、使われる日の早朝に担ぐ童子自身が食堂(じきどう)脇で作っています。
材料は1~2年かけて集めますが、が竹以外は年々調達が難しくなってきているそうです。

さて、この松明の火の粉を浴びると健康や来福のご利益があると信じられ、浴びることはもちろんのこと、その燃えカスを持ち帰りお守りにされる方も多くいます。

お水取り

その東大寺の修二会は「お水取り」とも言われ、12日の法要の後に6人の練行衆が堂外の閼伽井屋(あかいや)に向い、閼伽桶にその香水(こうずい)を汲み内陣に持ち帰り、須弥壇下の香水壺に蓄えられ、その後ご本尊に供えられたり、供花の水として使われます。

この閼伽井屋(あかいや)の中にある井戸(若狭井)は、若狭国(わかさのくに・福井県)の小浜と水脈がつながっていると言い伝えられています。

東大寺の十一面悔過(けかえ、通称お水取り)の創始者とも言われる実忠和尚が、修二会の行法中(ぎょうぼうちゅう)、「神名帳(じんみょうちょう)」に書かれた全国の一万七千余の神様の名を読み上げ、参集(さんしゅう)を求めました
神々はすぐに集まってこられましたが、若狭国の遠敷明神だけが川で魚釣りをしていて遅刻されました。
それを他の神が口々に咎(とが)めたので遠敷明神は「これは申し訳ない。お詫びとして、ご本尊にお供えする霊水を若狭からお送りしよう」といわれ、二月堂下の大岩の前で祈られました。
すると、大岩が動いて二つに割れ、黒と白の鵜が飛び立ち、続いて霊水が湧き出たそうです。
実忠和尚はこれをお供えの水とされました。
これが今も二月堂下にある若狭井戸(非公開)だそうです。

結詞

二月堂での修二会は、天平勝宝四年(752年)に始められたとされていますが、二月堂は東大寺が兵火に 巻き込まれた時も罹災を免れ、また江戸時代の寛文(かんぶん)年間に二月堂そのものが火災にあった時も仮堂を使って勤めたということから、今日に至るまで一度も途絶えることなく続いてきたことになります。このことによって「不退の行法」と称せられることもあります。

そのような東大寺のお水取りですが、昨年の2021年は新型コロナウィルス禍の今年は実施が危ぶまれていましたが、東大寺別当(住職)の狹川普文(さがわふもん)さんの

修二会は人々のために行うのでコロナ禍でも続ける

という強い決意のもと、僧たちはPCR検査を受けて隔離生活を送ったり、参拝者の数を制限して生配信したりするなど出来得る限りの感染対策を取りながらの実施を決断されました。

そんな中、NHKも乗り出し、特別な許可を得て衛星3波同時に生放送するという史上初めて異例の生中継にて配信しました。
もちろんクルーの一部も僧侶同様、1か月の隔離生活に入っていたそうです。

その模様はNHK奈良放送局主催により、NHK8Kスーパーハイビジョン特別上映&スペシャルトーク「『お水取り・東大寺修二会』~1300年変わらぬ祈りに迫る」と題して、高精細映像と迫力ある音で特別上映会及び、奈良ゆかりの豪華なゲストと語り合うトークショウが2日間にわたり開催されました。

新型コロナウィルス感染症の猛威は、伝統行事の存続に大きな脅威をもたらしましたが、東大寺にとっても、修二会継続のため、これまで受け継がれてきた行法の志趣に改めて思いを致し、その在り方を見つめ直す機会でもあったそうです。

その上にたって令和6年の開催について詳しくは東大寺さんの公式なTOPICS「令和6年度修二会 お松明等の拝観方法について」をご参照ください。

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