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稲荷神社 稲荷社 狛狐 風物詩
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稲荷神社 稲荷社 狛狐

本来は旧暦2月の最初の午の日ですが、現在では新暦2月の最初の午の日とされています。
2021年は2月3日が初午の日です。
京都の伏見稲荷をはじめ、大阪の玉造稲荷、愛知県の豊川稲荷など、各地の稲荷神社や稲荷社で盛大に五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を願って「初午祭」が執り行われます。稲荷神のお使いといわれるキツネの好物(?)の油揚げや、初午団子を供える風習もあります。

全国のお稲荷様は、神道系と仏教系に大きく分けることができます。

神道系は伏見稲荷大社をはじめ、茨城県の笠間稲荷神社、佐賀県の祐徳稲荷神社などがあります。一方、仏教系のお稲荷様は、愛知県の豊川稲荷(圓福山妙厳寺)や、岡山県の最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)があります。

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由来

総本社の伏見稲荷大社では、五穀を司るとされる宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主な祭神としています。それ以外にも、佐田彦大神(さたひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)、田中大神(たなかのおおかみ)、四大神(しのおおかみ)を祀っており、合わせて「五柱の神」と称されています。

この行事の由来は、稲荷社の総本社である京都の伏見稲荷大社のご祭神(稲荷大神・宇迦之御魂神)が伊奈利山に降臨した日が「初午」の日だった伝承に由来することから大神の神威を仰ぎ祭事が執り行われていましたが、その祭事がやがて全国の稲荷社に広まっていきました。

山城国風土記によれば、秦氏族「伊侶具」は、稲作で裕福だった。
ところが餅を使って、それを的として矢を射ったところ、餅が白鳥に代わって飛び立ち、山に降りて稲が成ったのでこれを社名としました。
後になって子孫はその過ちを悔いて社の木を抜き家に植えてお祭りしました。
いまでは、木を植えて根付けば福が来て、根付かなければ福が来ないといわれています。

京都の豪族・秦氏の氏神だった稲荷神が、どうして全国的に知られるようになったのでしょう? その理由は仏教と結びついたことにありました。空海はこの東寺に講堂を建立するなどしますが、その際に稲荷山から木材を切り出し提供したのが秦一族だったのです。
これがきっかけで稲荷神は仏教と結びつきを深め、東寺の守護神として祀られるようになります。時代が下り庶民の間にも仏教が広まると、稲荷神も全国各地へと伝わることとなりました。

その初午祭、九州各地でももちろん執り行われていますが、新暦で行う寺社や旧暦で行われる寺社がありますので、お近くの稲荷神社・稲荷社にお尋ねください。

お稲荷さんと狐

稲荷神は「宇迦之御魂神(うかのみたまのおおかみ)」という農耕の神様であると書きましたが、五穀(米、麦、粟、きび、豆)豊穣にみならず、養蚕も守護しています。
狐はこの稲荷神の使いとされ、人々に稲荷神の意思を伝えたり、時には神に代わって人にご利益を授けるなどの仕事をしているのです。

神道的には「宇迦之御魂神(うかのみたまのおおかみ)」は別名で「御饌津神(みけつのかみ)」とも言います。
狐の古名は「けつ」と言いますが、御饌津神様=三狐(みけつ)神様と理解し、狐が稲荷神様の使い、あるいは眷属(手下)であるとされました。また名前の「うか」は穀物・食物の意味で、古くから女神とされてきました。

また仏教的にはインドの金狐・銀狐という狐の眷属を持つ吒枳尼天(だきにてん)が稲荷神だとする説もあります。天というのはもともとは鬼神(異国の神)ですが、改心して仏様の弟子として天と呼ばれるようになりました。天=神様という意味です。半裸で稲穂を担いで白狐にまたがる女天の姿で描かれています。

それは 空海の弟であり十大弟子の一人でもある真雅が記した『稲荷流記』に、後に伏見稲荷の眷属とされる狐に関する以下のような伝承があります。
「平安初期、平安京の北郊、船岡山の麓に、全身に銀の針を並べ立てたような年老いた白狐の夫婦が棲んでいました。夫婦は心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていましたが、狐という畜生の身であっては、願いを果たすべくもない。そこで、夫婦は意を決し、五匹の子狐を伴って稲荷山に参拝し
『今日より当社の御眷属となりて神威をかり、この願いを果たさん』
と祈りました。
すると、神壇が鳴動し、稲荷神の厳かな託宣がくだりました。
『そなたたちの願いを聞き許す。されば、今より長く当社の仕者となりて、参詣の人、信仰の輩を扶け憐むべし』と、
そして稲荷明神からは男狐は『オススキ』、女狐は『アコマチ』という名を授けられました。」

さらに田の神様は稲刈りが終わると山に戻り山の神となりますが、春になると山から降りてきて田の神様になります。
キツネも春が来ると山から下りてきて田んぼのネズミを食べ、秋になると山に帰っていきます。
この山の神の信仰が狐の習性と結びつき、いつしか狐は神の使いだと考えられるようになったというのです。
そんな関係からも狐は稲荷神の使いと信じられているのです。

いずれにしても熊野神の烏、日枝神の猿など日本には他にも動物の神使がたくさんいますが、お稲荷様と結びついた狐はなかでも働きもので、多忙な稲荷神に代わってせっせと人々にご利益を授けています。

狛狐

ところで稲荷神社といえば狛犬ならぬ狛狐が鎮座していますが、この狛狐は口に「米蔵の鍵」「稲を刈る鎌」「稲穂」は五穀豊穣を、「巻物」は知恵をそして「」は神様の霊徳を表すシンボルとして咥えています。 

狛狐

神社によって境内にある狛狐が咥えているものに違いがあり、その種類によって授かるご利益も異なります。例えば、巻き物を咥えている場合は知恵や学業を、丸い珠の場合は五穀豊穣を、稲穂やカギは稲そのものや稲倉のカギを表すため、稲の豊作にご利益があるそうです。

初午の行事食

稲荷寿司 お稲荷さん

初午の行事食といえば稲荷にまつわる「稲荷寿司」「お稲荷さん」ですよね。
なぜ稲荷社に油揚げを供えるようになったかはキツネの好物ネズミの油揚げの代わり等々諸説ありますが、どうもキツネ、穀物、ネズミとの関連性から来ているようです。
もともと稲荷神と同一視される吒枳尼天へのお供え物として、ネズミのフライが珍重されていたようですが、さすがにお供え物がネズミでは具合が悪いということで油揚げに変わっていったという説もあり、大豆はもともと「畑の肉」とも言われていますので、その加工品である豆腐、その豆腐を揚げた厚揚げや油揚げをお稲荷さまへのお供えにするようになったというのはある意味説得力があるような気がします。

稲荷寿司 おいなりさん

その油揚げに狐がもたらしてくれたお米(酢飯)を詰めたものを供え食べるようになったようです。
ちなみにその形は東日本では米俵を連想させる「俵型」西日本ではキツネの耳を連想させる「三角形」が多いようです。

さぁ3日の夕飯は節分の恵方巻に続いて「お稲荷さん」で決まりですね。

初午団子

初午には蚕の神様を祀る行事も行われます。
その中で「初午団子」は繭がたくさんできるよう願い、餅粉で「まゆ」の形をした団子を作って神様にお供えしたのが始まりだと言われています。

初午団子

地域によっては、団子を繭玉に見立てて中に小豆を一粒入れたり、ざるの中に藁のようなものを入れて蚕が繭を作るように飾ったり、繭がシミにならないよう醤油をつけずに食べたりするそうです。
また、初午団子をたくさん振る舞うと、繭から毛羽をとる「繭かき」の作業が賑やかになってよいといわれ、近所の家に配る風習もありました。

現在では、汁物やぜんざいに入れたり、焼いて醤油などで味付けをしたり、様々な食べ方で親しまれています。

しもつかれ

栃木県を中心に北関東に伝わる郷土料理で、鬼おろしという目の粗いおろし器ですった大根と人参に、鮭の頭や油揚げ、野菜、大豆、酒粕などを入れて煮込んだ料理です。

「宇治拾遺物語」「古事談」などにでてくる「酢むつかり」を起源とする説が有力で、江戸時代には、飢饉の時に飢えを凌ぐための非常食だったそうです。栃木県内では節分の豆を入れて作り、初午の日に稲わらのつとの中に入れて稲荷様や氏神様に供える風習とともに以下のような様々な言い伝えが残っています。
わらづとに入れて屋根の上に投げると火事にならない
稲荷様に供えるとキツネが畑を荒らさない、疫病にかからない
初午以外の日に作ると火事になる」などの言い伝えがあります。

また、「しもつかれを7軒食べ歩くと病気にならない」といわれ、現在でも隣近所でやりとりする風習が残る地域もあるようです。

しもつかれ

家庭料理であるしもつかれは、その家庭ごとに微妙な味の違いがあります。できたての温かいうちに食べるのも、冷めて冷たくなったのを熱いご飯と食べるのも良く、酒の肴にも合うそうです。

九州の初午祭が斎行される主な稲荷神社

祐徳稲荷神社(佐賀)
高橋稲荷神社(熊本)
扇森稲荷神社(大分・竹田)

萩尾稲荷神社(大分・日田)
石穴稲荷神社(福岡・太宰府)
大根地神社(福岡・飯塚)

結詞

今回「初午」中心にいろいろ調べてみましたが、稲荷信仰は神道やその原型である「田の神」などの農事信仰、さらに仏教など様々な信仰が併せ持ったまさに神仏混淆の最たるもので、その奥深さに驚きました。
さて初午祭ですが、上記の神社でも斎行日は新暦で行われる神社と旧暦で行われる神社がありますのご参拝の前にご確認ください

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