御影

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九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第三十番札所 東光山 大日寺

慶長十三年(1608)四国土佐の長曾我部元親公の血を引く秀乗律師が、佐伯藩初代藩主毛利高政公の願を受け、藩内の武運長久、五穀豊穣、万民豊楽を祈願する寺院として開創しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十九番札所 興雲山 海岸寺

静かなお寺で、大師堂には九州で有数の大きなお大師様が迎えてくれます。醍醐の教えである「実修実証」を守り、厄除や交通安全、水子供養等の各種の祈願を修す山伏の寺です。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十八番札所 高野山 興山寺

興山寺の歴史は真言宗総本山高野山から始まっています。木喰応其上人は、青厳寺と興山寺を創建し、その後、二寺は併合され真言宗の総本山の金剛峰寺となり、由緒ある興山寺の名前が消えることを惜しんだ山縣玄浄僧正が、臼杵の地で再興されたのが現在の興山寺です。
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九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十七番札所 有智(うち)山 蓮城寺

三重町から宮崎県北川町に通じる国道326号(日向街道)沿いの三国峠に入る山すその静かな内山地区に蓮城寺(れんじょうじ)はあります。本尊千手観音にちなみ通称「内山観音」と言われています。
九州八十八ヶ所百八霊場

タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 第二十六番札所 摩尼(まに)山 福寿院

豊後府内藩が成立したのは文禄3年(1594年)将軍徳川家綱の命を受け松平忠昭が万治元年(1658年)6代目府内城主として転封したため、松平家の祈願所であった福寿院も城内三の丸に移されました。府内藩築城工事については「人柱伝説」があります。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十五番札所 洗心山 金剛頂寺

別府北浜の温泉街の程近くにある寺院で、元高野山管長の津田実雄和尚のもとで修行した松本覚陞和尚が四国八十八ヶ所霊場を遍路した後、大正年間にこの地に創建されました。 別府西国三十三ヵ所観音霊場も覚陞和尚の開創で、当寺が一番札所となっております。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十四番札所 愛宕山 蓮華寺

蓮華寺の由緒、歴史は古く、旧日出藩主の祈祷寺として栄えたお寺です。 本尊「千手観音」及び「涅槃図」は県の文化財に指定されています。 また庫裡には、樹齢400年と言われるサツキの庭園があり5月初旬が見頃だそうです。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十三番札所 長覚山 光明院

光明院は、松平英親がこの地の領主となった時代に、杵築城の「裏鬼門除け」として建立されました。護摩堂は、普通の木造ではなく、巨大な岩山の下に開いた洞窟の中に、不動明王をはじめとする五大明王が祀られています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十二番札所 八幡宇佐宮 大楽寺

宮中と呼ばれる宇佐の小盆地南宇佐に位置する大楽寺は、宇佐市内では宇佐八幡宮に次いで貴重な史跡であり、数多くの文化財が護持されています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十一番札所 八面山 神護寺

神護寺境内は山岳寺院の雰囲気があり、二滝の心地よい音が響いております。また数多くの石仏が点在しておりますが、そのなかでも特に大きな石造は釈迦涅槃像です。
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