九州八十八ヶ所百八霊場 第二十八番札所 高野山 興山寺

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九州八十八ヶ所百八霊場
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興山寺の歴史は真言宗総本山高野山から始まっています。
天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州攻めにより、兵火が高野山に及ぼうとしたとき、秀吉と直談判して山を守った人物が、木喰応其上人です。その後応其上人は青巌寺と興山寺を創建して山内の中心伽藍とし、さらに諸堂を再建しました。

明治になって興山寺は青巌寺と併合され、金剛峯寺と呼ばれるようになりました。
由緒ある興山寺の名前が消えることを惜しんだ山縣玄浄僧正が、稲葉氏の協力を得て臼杵に寺号を移し、興山寺がこの地で再興されました。
境内の奥まったところに本堂と庫裡が並んでいます。
宝造形の本堂に安置された本尊、無量寿如来は秘仏のため直接拝することはできませんが、境内には多くの石仏が点在しています。
九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

高野山 興山寺
(御朱印)

別称

臼杵高野山

創建

高野山にて創建      木喰応其(もくじきおうご)上人(高野山中興の祖)
1900年(明治33年) 山懸玄浄上人(臼杵に再興)

宗派

高野山真言宗

ご本尊

無量寿如来(胎蔵界阿弥陀如来)立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだなん さん さく そわか
おん あみりた ていぜい から うん

無量寿如来(胎蔵界阿弥陀如来)について

阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから無量寿如来または無量光如来と漢訳されています。『無量寿経』には 「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免れしめる」 と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。
ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
仏像では、阿弥陀三尊として聖観音勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。
さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるともいわれ、その来迎の様子をあらわす場合もあります。

真言密教で表される阿弥陀如来は、衆生の宗教的素質がどのようなものかを妙(たえ)に観察し、 真理の教えを説いて疑惑を断じ、衆生にその本性が清らかで蓮華のようであることを知らしめる 大日如来の妙観察智の徳をつかさどる仏です。つまり大日如来の徳の一つを阿弥陀如来が受け 持っているわけです。
胎蔵曼荼羅では中台八葉院西方の無量寿如来と同体異名となります。

住所・連絡先

大分県臼杵市大字福良2366-1 TEL 0972-63-0361
(地図)

アクセス

・JR日豊本線上臼杵駅より徒歩20分
・三重町から国道502号線で臼杵石仏を通り、国道217号線を右折
JT角の寺標を右折して山道を上る。

ご詠歌

高野山(たかのやま) 大師のいおり 興山寺 阿字の浄土ぞ 遍照金剛

他の霊場札所

九州西国霊場

霊場ご本尊・庫裡 持仏の間 十一面観世音菩薩立像
ご詠歌 高野山(たかのやま) 大師のいおり 興山寺 阿字の浄土ぞ 遍照金剛
ご真言 おん まか きゃろにか そわか
(御朱印) 

臼杵高野山(第二十八番 興山寺)

この日の巡拝は全国でその名が知られるようになった「臼杵の石仏群」を拝観し、二十八番、二十九番と巡ります。
ちなみに臼杵の石仏群は巡拝を終えた第二十七番札所を開基された真名野長者によって造立されたと伝えられています。
臼杵石仏群はホキ、堂ヶ迫、山王山、古園の4群に分かれていて、平安時代から鎌倉時代にかけて彫られた石仏たちです。
中には3メートル近い巨大な摩崖仏も数多く見受けられます。
とりわけ古園群にある「大日如来」は石仏の最高傑作とも言われ国宝にも指定されています。

さて、目指す興山寺は臼杵石仏群から車で約15分と程近く、交通量の多い国道から少し逸れて小高い山の上にあります。
さほど山に分け入る感じではないのですが、境内は国道沿いの喧騒と無縁の静寂さに包まれています。

冒頭にも触れましたが、こちらの歴史を紐解くと真言宗の総本山である高野山から始まっています。
秀吉の紀州攻めの折、兵火が高野山に及ぼうとしたとき、木喰応其上人が秀吉に直談判して山を守りました。その後応其上人はその地に青厳寺と興山寺を創建し、高野山の中心伽藍としました。
明治初期にはその二寺は併合され、真言宗の総本山の金剛峰寺となりました。

古くから臼杵のこの地に高野山と呼ばれた寺院があったようですが、明治25年に焼失してしまいました。
その跡地に由緒ある興山寺という名が消えてしまうのを惜しんだ山縣玄浄上人が臼杵に寺号を写し再興したのがこの興山寺です。

境内の奥まったところに宝形造の本堂と庫裡が並んでいます。
御本尊の無量寿如来は秘仏となっていて直接拝することは出来ません。

しかし境内のあちらこちらに石仏が点在していて、さすが臼杵といった感じで、とても落ち着いた空気の中でお参りができました。

南無大師遍照金剛

こちら興山寺は九州西国霊場特別札所ともなっています。
霊場本尊は「十一面観世音菩薩」立像で少しふっくらとした優しいお顔で、本堂ではなく庫裡の「持仏の間」のお祀りされています。

次回は第二十九番札所「興雲山 海岸寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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