有名な“別府温泉”の隣町にあり、お城の下の海で採れる魚「城下カレイ」が有名な町で、歴史と文教の城下町である。
寺の門前からは、お猿の高崎山、別府湾が望めます。
蓮華寺の由緒、歴史は古く、旧日出藩主の祈祷寺として栄えたお寺です。
本尊「千手観音」及び「涅槃図」は県の文化財に指定されています。
庫裡には、樹齢400年と言われるサツキの庭園があり5月初旬が見頃だそうです。
『概略』
愛宕山 蓮華寺
(御朱印)
創建
大神氏の時代 浮津密乗院浮津密乗院(うきつみつじょういん)→円海寺
慶長8年(1603年)蓮華寺 木下延 開基俊
宗派
高野山真言宗
ご本尊
千手観音立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)
ご真言
おん ばざら たらま きりく
千手観音について
別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。
千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒
さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。
また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。
住所・連絡先
大分県速見郡日出町2830 TEL 0977-72-2244
(地図)
アクセス
JR日豊本線日出駅下車、徒歩7分
杵築より国道213号線の靴流通センターのある交差点を左折、突き当りの右側。
境内手前隅及び裏手に駐車可。
ご詠歌
補陀落や 愛宕の峰の 蓮華寺(れんげでら) 千手の威徳 あらたなりけり
日出二万五千石の歴史とともに(第二十四番 蓮華寺)
蓮華寺のある日出町は、温泉地で有名な「別府」の隣町で豊臣秀吉の正妻、北の政所の甥にあたる木下延俊が慶長六年(1601年)からこの地を治めました。
その木下延俊が築城した日出城の崖下の海中から湧き水があり、そこで繁殖する城下カレイは有名です。
大神氏の時代、蓮華寺は浮津密乗院(うきつみつじょういん)と名乗り大神氏の菩提寺だったそうです。
その後、逵ノ堂愛宕神社(日出町北大神辻の堂)の別当として円海寺と名乗りました。
さらに慶長8年(1603年)、豊後国日出藩初代藩主・木下延俊が日出城鬼門鎮護のため現在地に移して、日出藩の祈祷所となり蓮華寺と改名したそうです。
全盛期には、豊後国全域と豊前国宇佐郡の真言修験の袈裟頭として百四十四院が属す大寺院でした
道路に面した石段の左右に石燈籠、宝篋印塔や地蔵尊が並び、登りつめると切妻造の山門があります。
山門をくぐると、左手に宝形造の本堂、右手に入母屋造の鐘楼という配置です。
ご本尊の千手観音は大分県の文化財にも指定されていますが、秘仏で平素は厨子の中に安置されていて、直接拝むことは出来ません。
ただ春と夏の法要の祭には、開扉され、お目にかかることが出来るそうです。
南無大師遍照金剛
本堂内に安置されている諸仏の中にガラスケースに納められた「勝軍地蔵」があり、馬に跨り甲冑を身につけておられます。
これを拝むと、戦いに勝ち、宿業・飢饉などをまぬがれると言われています。
愛宕神社とも縁の深きお地蔵さんで、別当であった時代を偲ばせてくれます。
次回は第二十五番札所「洗心山 金剛頂寺」をお伝えしていきます。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌
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