大分

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九州西国霊場

九州西国霊場 第五番札所 長岩屋(ながいわや)山 天念寺

天念寺はその中山として、六郷座主の役職をもっていたといわれています。天念寺では旧正月七日に「修正鬼会」が開かれる。これは国の重要無形民族文化財に指定されているもので、前の年の悪を正し、その年の吉祥を祈るためのものだと伝わっています。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第九番札所 金剛山 長安寺

長安寺は、養老2年(718年)に仁聞菩薩(にんもんぼさつ)により開かれたと伝えられる天台宗のお寺です。昔の繁栄を偲ばせる「太郎天像」や「二童子立像」、「銅板法華経」など国の重要文化財が保管されています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第三番札所 補陀落(ふだらく)山 清水(せいすい)寺

開創は養老元年(717)、仁聞菩薩によると伝わっています。その後、京都清水寺の本尊を勧請して七堂伽藍を復興されました。ご本尊は十一面千手観音で、平素は秘仏となっていて、毎年1月10日と8月10日の2回だけご開帳されます。
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九州西国霊場

九州西国霊場 第二番札所 大久(だいきゅう)山(だいきゅう) 長谷寺

英彦山から山国川の流れに沿って下ると、奇岩名勝で知られる耶馬渓があります。その耶馬渓の先、八面山の東麓の三光西秣にある長谷寺は、慶雲元年(704)、仁聞菩薩が十一面観音を敬刻し奉安したのに始まるとされています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第三十番札所 東光山 大日寺

慶長十三年(1608)四国土佐の長曾我部元親公の血を引く秀乗律師が、佐伯藩初代藩主毛利高政公の願を受け、藩内の武運長久、五穀豊穣、万民豊楽を祈願する寺院として開創しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十九番札所 興雲山 海岸寺

静かなお寺で、大師堂には九州で有数の大きなお大師様が迎えてくれます。醍醐の教えである「実修実証」を守り、厄除や交通安全、水子供養等の各種の祈願を修す山伏の寺です。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十八番札所 高野山 興山寺

興山寺の歴史は真言宗総本山高野山から始まっています。木喰応其上人は、青厳寺と興山寺を創建し、その後、二寺は併合され真言宗の総本山の金剛峰寺となり、由緒ある興山寺の名前が消えることを惜しんだ山縣玄浄僧正が、臼杵の地で再興されたのが現在の興山寺です。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十七番札所 有智(うち)山 蓮城寺

三重町から宮崎県北川町に通じる国道326号(日向街道)沿いの三国峠に入る山すその静かな内山地区に蓮城寺(れんじょうじ)はあります。本尊千手観音にちなみ通称「内山観音」と言われています。
九州八十八ヶ所百八霊場

タイトル:九州八十八ヶ所百八霊場 第二十六番札所 摩尼(まに)山 福寿院

豊後府内藩が成立したのは文禄3年(1594年)将軍徳川家綱の命を受け松平忠昭が万治元年(1658年)6代目府内城主として転封したため、松平家の祈願所であった福寿院も城内三の丸に移されました。府内藩築城工事については「人柱伝説」があります。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第二十五番札所 洗心山 金剛頂寺

別府北浜の温泉街の程近くにある寺院で、元高野山管長の津田実雄和尚のもとで修行した松本覚陞和尚が四国八十八ヶ所霊場を遍路した後、大正年間にこの地に創建されました。 別府西国三十三ヵ所観音霊場も覚陞和尚の開創で、当寺が一番札所となっております。
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