英彦山から山国川の流れに沿って下ると、奇岩名勝で知られる耶馬渓があります。その耶馬渓の先、八面山の東麓の三光西秣にある長谷寺は、慶雲元年(704)、仁聞菩薩が十一面観音を敬刻し奉安したのに始まるとされています。
九州西国霊場~より
『概略』
大久山 長谷寺
(御朱印)
御朱印は、特別札所 興山寺で頂けます。
別称
長谷観音
創建
慶雲元年(704年) 仁聞菩薩
神亀4年(727年) 三界上人
宗派
高野山真言宗
ご本尊
十一面観世音菩薩立像(九州西国霊場ご本尊)
ご真言
おん まか きゃろにか そわか
十一面観世音菩薩について
苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。またそれぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。六観音の1つに数えられ、修羅道に迷う人々を救います。
奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになりました。
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)、うしろ1面を大笑面といい、頂上に仏面を配して11面です。中には本面とあわせて11面となる場合もあります。また11面の配列が異なる場合もあります。 大笑面は、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。
住所・連絡先
大分県中津市三光西秣1893 TEL 0979-43-2313
(地図)
アクセス
JR日豊本線中津駅下車、タクシー10分
宇佐別府車道宇佐インターから北西へ約10km。
駐車場(トイレ完備) あり
ご詠歌
はせがわの ながれもたえぬ きしなみの あきのよながく すめるつきかな
景勝地「耶馬渓」にほど近くの長谷観音(第二番札所 大久山 長谷寺)
英彦山から山国川の流れに沿って下ると、奇岩名勝で知られる耶馬渓があり、その耶馬渓の先、八面山の東麓の三光西秣(さんこうにしまくさ)にある長谷寺があります。
付近は「仏の里」と呼ばれ、石仏が点在する長閑な田園風景が広がっています。
また八面山一帯は、長谷寺の奥の院をはじめ八観音が祀られた霊域で、「長谷観音」の名で親しまれています。
ちなみに「秣(まぐさ)」とは馬や牛などの飼料にする干し草、わらのことです。
長谷寺開山以前は、この地に「神」(おそらく白山権現ではないでしょうか)が祀られていたと伝わっています。
慶雲元年(704年)の秋、仁聞菩薩が岩窟(がんくつ)にて修行していた或る夜のこと白髪の翁おきなが現われて「吾は白山権現なり。この山に垂跡(すいじゃく)すること年久し、汝この山を開闢(かいびゃく)せば、吾永く法燈を守護せん」と告げて姿を消したそうです。
仁聞菩薩は夢から覚めて直ぐに一刀毎に三礼し観世音菩薩と脇士、不動明王・毘沙門天像を彫刻して岩窟(現在の奥の院)に安置しました。
この逸話が長谷寺の始まりとされています。
その後、神亀4年(727)三界上人が寄錫された時、またまた白山権現が現れ、その霊告によりお堂を建立して、一寺を開き、長谷寺と号したそうです。
三界上人はその晩年、この窟に入定留身(即身成仏)し、日本で最初の生き仏となったと伝わっています。
さて、駐車場から参道を進むと本堂前に大きな「大悲殿」と書かれた覆屋が迎えてくれます。
五色の幕を分けて入ると大日如来様の座像がどっしりとお座りになっておられます。
そして本堂へと入ると、聖観音立像が内陣に祀られています。
平素は秘仏となっていて、お前立を拝することになりますが、毎年4月20日にはご本尊とともに御開帳され直に拝することが出来るそうです。
その本堂左手より自然林の中の石段を登りつめると、投げ入れ堂のような舞台造の奥の院のお堂があります。
こちらに仁聞菩薩が敬刻し奉安したご本尊の「十一面観音菩薩」が安置されています。
さらにその上の尾根道伝いに「長谷寺八十八ヶ所へんろ道」があり、八十八ヶ所めぐりの石仏が配されています。
この石仏は壇ノ浦で滅んだ平家の供養のためと伝わっています。
南無大師遍照金剛
境内には先ほど書きましたが奥の院へと続く自然林の中の石段やその上の「長谷寺八十八ヶ所へんろ道」、さらには一石五輪塔や国東塔など霊域である六郷満山の修験の空気も感じられるお寺でした。
御朱印は臼杵にある特別霊場の「興山寺」での受け付けになるそうですので、ご注意の程を。
次回は九州西国霊場 第三番札所「補陀落(ふだらく)山 清水(せいすい)寺」をお伝えしていきます。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌
コメント