九州西国霊場 第二十八番札所 円通山 常安寺

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九州西国霊場 第二十八番札所 円通山 常安寺 九州西国霊場
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九州西国霊場 第二十八番札所 円通山 常安寺

常安寺の東南に岸岳という山があり、その北壁の「笹の手」と称ばれる岸壁の下に自然の洞窟「垂玉」がありますが、弘法大師が唐よりの帰途、霊夢により垂玉に導かれ止錫されたのが、常安禅寺のはじまりとされています。

九州西国霊場~より

『概略』

円通山 常安寺
(御朱印)

創建

天正8年(1580年) 波多氏の家臣・今江新右衛門常安 開基
            医王寺 法浦用演大和尚     開山

宗派

曹洞宗

別称

垂玉(たるだま)観音

ご本尊

十一面観世音菩薩(九州西国霊場ご本尊)

ご真言

おん ろけい じんばら きりく そわか

十一面観世音菩薩について

苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。またそれぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。六観音の1つに数えられ、修羅道に迷う人々を救います
奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになりました。
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)、うしろ1面を大笑面といい、頂上に仏面を配して11面です。中には本面とあわせて11面となる場合もあります。また11面の配列が異なる場合もあります。 大笑面は、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。

住所・連絡先

佐賀県唐津市北波多徳須恵365番地 TEL 0955-64-2107
(地図)

アクセス

JR唐津線「唐津駅」下車。伊万里行きバス30分「徳須恵」下車
JR唐津線「山本駅」下車。矢代町経由北波多行きバス10分「徳須恵」下車
西九州自動車道・前原インターから二丈浜玉経由約35km
境内に駐車可

ご詠歌

まつらがわ きよきながれの きしなみは つきにくだくる たまかとぞみる

垂玉観音(第二十八番札所 円通山 常安寺)

常安寺より東南に約3キロほど行ったところに岸岳(320メートル)という山があり、その北壁の「笹の手」と称ばれる、切り立った岸壁の下に自然の洞窟「垂玉」があるが、伝えるところでは、和銅6年(713年)、弘法大師が留学されていた唐よりの帰途、霊夢により垂玉に導かれ止錫され、岩窟の中に十一面観音菩薩坐像(垂玉観音)を安置されるようになったのが、常安禅寺のはじまりとされてます。

中世には、松浦党の領袖波多氏が、岸岳を居城としてこの辺り一帯を400年にわたり支配していましたが、その波多氏全盛の天正8年(1580年)、稗田の地に、波多氏の家臣・今江新右衛門 常安が用演大和尚を開山に迎えて開山し、その霊場を継承した「鬼子(貴志)山円通寺」が創建されたと伝えられています。

波多氏の没落により、波多氏の所領も豊臣秀吉によって没収され、寺運も衰退し廃寺となってしまいましたが、寛永元年(1624年)、唐津藩主志摩守広高公が、現在の相知町黒岩の地に、医王山第14世涼山玄清大和尚を招請して再興されました。

その後、明治34年(1901年)、当時の住職である堪海融澄大和尚が三日続けて垂玉観音の霊夢を見て、霊場の損壊の危険を察知していました。
霊夢の通り、一週間後に炭田開発に伴う地盤沈下による霊場の損壊はありましたが、幸いにも、ご本尊は小堂宇とともに寺に移転しており難をのがれたと伝わっています。
その後も地盤沈下は進み、本堂の老朽化とともに、寺自体も現在地に移転を余儀なくされてしまいました。

九州西国霊場 第二十八番札所 円通山 常安寺

お寺が面している比較的交通量の多い国道202号線(唐津街道)から、境内に入るとどっしりと重厚感のある本堂が真正面に迎えてくれます。
堂内内陣中央に寺ご本尊の十一面観音菩薩様がおられます。
そして右脇壇に霊場ご本尊の十一面観音座像が安置されています。

参拝を済ませ境内に戻ると平和の鐘がありました。
この鐘に銘を書いたのはあの昭和の大政治家・吉田茂氏だそうです。
この鐘は2代目で、初代の鐘は、ここ芳谷炭鉱の社長であり、吉田茂氏の父でもある竹内綱氏の寄進により鋳造されて物でしたが、第二次世界大戦中の金属供出により失われてしまいました。

2代目の鐘は昭和40年に鋳造されたものです。

南無釈迦牟尼仏・南無高祖承陽大師道元禅師・南無太祖常済大師瑩山禅師

常安寺には、唐津市の指定文化財ともなっている誕生釈迦仏があります。
朝鮮半島の統一新羅時代(7世紀~10世紀初頭)に作られた、お釈迦様が誕生された時の姿を写した仏像です。
お釈迦様は、摩耶夫人の脇の下から生まれるや、七歩歩いて天と地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えられたと伝えられています。 誕生仏はこの釈迦の誕生を祝って4月8日におこなわれる潅仏会(花まつり)の本尊です。

灌仏会については当方歳時記ブログにもう少し詳しく載せてありますので、ご参照いただければ幸いです。

誕生したお釈迦様を竜王が洗い清めたという故事にならって甘茶を注ぐため、腐食しにくい銅でつくられています。
本像は短い裳を身につけ、左手を上げていて、中国や朝鮮でしばしば見られる姿です。
像高9cmと小さな仏像ですが、顔の造作をはっきりとつくり、胸の肉づきも豊かで、素敵な造形です。

雷山 千如寺 大悲王院

次回は九州西国霊場「第二十九番札所 雷山 千如寺 大悲王院」をお伝えしていきます。
雷山千如寺は九州西国霊場の札所であるとともに、九州八十八所百八霊場第八十二番札所と九州三十六不動霊場第二十八番札所 ともなっています。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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