九州西国霊場 第十二番札所 金剛山 青龍(しょうりゅう)寺

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九州西国霊場
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九州西国霊場 第十二番札所 金剛山 青龍(しょうりゅう)寺

青龍寺阿蘇神社の神宮寺として創建されました。現在は阿蘇一の宮門前街中の「阿蘇神社」の北方400メートルほどのところに田中家の家屋の2階に小堂をつくり法灯を護持されています。ご参拝の際は必ず電話で予約してください。

九州西国霊場~より

『概略』

金剛山 青龍(しょうりゅう)寺
(御朱印)

創建

永長元年(1096年) 蘇印僧正 慶円

宗派

天台宗

ご本尊

十一面観世音菩薩坐像(九州西国霊場ご本尊) 行基 作

ご真言

おん ろけい じんばら きりく そわか

十一面観世音菩薩について

苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。またそれぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。六観音の1つに数えられ、修羅道に迷う人々を救います
奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになりました。
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)、うしろ1面を大笑面といい、頂上に仏面を配して11面です。中には本面とあわせて11面となる場合もあります。また11面の配列が異なる場合もあります。 大笑面は、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。

住所・連絡先

熊本県阿蘇市一の宮町宮地165 TEL 0967-22-0203
(地図)

アクセス

JR豊肥本線宮地駅下車、徒歩20分
九州自動車道熊本小郡インターから約60分
駐車場は無いため、阿蘇神社の駐車場を利用

ご詠歌

うちなびく あそのみやまの ゆうけむり みどりをひたす なみかとぞみる

明治2年、大山寺に統合された際に作られたご詠歌です。

以前のご詠歌

阿蘇宮の 玉垣まもる 青龍寺 仏のちかい あらたなりけり

と神仏が習合していた時代を感じさせられます。

肥後国一宮「阿蘇神社」の神宮寺(第十二番札所 金剛山 青龍寺)

肥後国一の宮として、宇佐神宮宗像大社とともに「九州三社」に数えられる「阿蘇神社」の北方400メートルほどのところに田中家の家屋があります。
現在は、青龍寺の本尊・脇仏(毘沙門天・不動明王)は、大山寺ゆかりの田中家が継承し、家屋2階に小堂をつくり法灯を護持されています。
そのお堂は、阿蘇一の宮門前街中にあり、その門前町は、「水基(みずき)巡りの道」とも呼ばれています。

青龍寺は永長元年(1096年)阿蘇神社の神宮寺として阿蘇大宮司の惟行を願主として、比叡山より慶円を招き、行基菩薩が一刀三礼して刻んだ作と伝わる十一面観音を本尊として開創されたといわれています。
ご本尊、十一面観音菩薩は、阿蘇神社の主祭神の神武天皇の孫である健磐龍命(たけいわたつのみこと)の本地仏(神が仏身となって現世に顕れた姿)です。
また、阿蘇山上に阿蘇神社の神社の祭祀の奉仕する供僧のいる15坊のなかでも筆頭の座次を持ち、阿蘇神社別当寺として神社敷地内の建立を許された神宮寺として栄えたといわれ、開基の慶円は、後に、阿蘇の法印(僧侶の位階(僧位)で最上位)「蘇印僧正」と号し、神社主導の神仏習合時代を迎えました。
神宮寺とは仏法によって神の威徳を増すという神仏一体の思想に基づき、神社の境内に建てられた寺で社僧が住んでいました。

神宮寺に住し仏事を修する僧侶のことを供僧(ぐそう)、宮僧(くそう)、神僧といいます。
その職階に別当、検校(けんぎよう)、勾当(こうとう)、専当、執行など多数あります。
その職階から成る僧侶を住まわせて、神官は別当を長とする僧侶の支配をうけていました。

しかし明治に入り、明治政府のすすめた神仏分離政策により、次第に衰微し、西巌殿寺の僧が供僧を兼ねていました。
青龍寺は大山寺に統合され、尊像も移遷されました。
その後、青龍寺は比叡山延暦寺の末寺となり、金剛山青龍寺と称する九州西国三十三観音霊場十二番札所として再興されました。

ご本尊の十一面観世音菩薩は紆余曲折を経て、大山寺と所縁の深い田中家に引き取られることとなりました。

現在ご本尊は秘仏となっていて、毎年、旧暦1月18日に法要が行われ、ご開帳されます。

今でも観音霊場巡礼の道を辿り、多数の崇敬者が田中家に安置されているご本尊に参拝されていますが、何分民家の一角であるため、ご参拝の際は必ず電話予約をお願い致しますとのことです。

南無根本伝教大師福聚金剛

本文中に出てくる「阿蘇神社」は平成28年4月16日未明に発生した熊本地震により、境内の社殿ほぼすべてが甚大な被害を受けました
その地震により楼門と拝殿が全壊、境内の3ヶ所の神殿も損壊してしまいました。
未だ再建工事の真っ最中で、徐々に復旧してきてはいるものの、工事期間は2023年(令和5年)12月31日を予定しているそうです。

被災前
被災時
再建の現状

次回は九州二十四地蔵尊霊場霊場「第二番札所 医王山 堂塔寺」をお伝えしていきます。

九州二十四地蔵尊霊場 第二番 医王山 堂塔寺


なお、九州二十四地蔵尊霊場第一番延命山徳泉寺九州八十八所百八霊場第十八番札所と重複しておりますのこちらをご一読ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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