九州西国霊場 第二十七番札所 福石山 清岩(嵓)寺

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九州西国霊場
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九州西国霊場 第二十七番札所 福石山 清岩(嵓)寺

福石観音の通称で親しまれている清岩寺は、和銅3年(710年)、この地に巡錫された行基菩薩が、自刻の「七観音」の一つである十一面観音を岩窟に安置したことにはじまると伝えられています。

九州西国霊場~より

『概略』

福石山 清岩(嵓)寺
(御朱印)

創建

和銅3年(710年) 行基菩薩

宗派

真言宗 智山派

別称

福石観音

ご本尊

十一面観世音菩薩(九州西国霊場ご本尊)

ご真言

おん まか きゃろにきゃ そわか

十一面観世音菩薩について

苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。またそれぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。六観音の1つに数えられ、修羅道に迷う人々を救います
奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになりました。
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)、うしろ1面を大笑面といい、頂上に仏面を配して11面です。中には本面とあわせて11面となる場合もあります。また11面の配列が異なる場合もあります。 大笑面は、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。

住所・連絡先

長崎県佐世保市福石町24-5 TEL 0956-31-8372
(地図)

アクセス

JR佐世保駅より徒歩30分
佐世保駅前から「黒髪」行などのバスで約5分、「福石観音前」で下車後、徒歩約2分。
西九州自動車道・佐世保みなとインターより約2km

ご詠歌

あきかぜの ふきしくさとに すむつきは ながきよすがら かげもくもらす

断崖に囲まれた石舞台のような境内(第二十七番札所 福石山 清岩(嵓)寺)

佐世保市街にある福石観音の通称で親しまれている清岩寺は、和銅3年(710年)、この地に巡錫された行基菩薩が、自刻の「七観音」の一つである十一面観音を岩窟に安置したことにはじまると伝えられています。

その後、大同元年(806年)、行基菩薩の霊跡を慕って訪ねられた弘法大師・空海が諸人救済の為、御堂(現 大師堂)の傍らに清岩寺(せいがんじ)堂宇(現 本堂)を建立し、福石山の裏手にある岩窟に五百羅漢を安置しました。

以来寺門興隆し、平戸藩の祈願所として崇敬を集めました。
以来、九州七観音のひとつに数えられ、諸人信仰の霊地と仰がれて色々な仏跡を残し、また旧平戸藩時代には平戸八景のひとつに、大日本帝国海軍の軍港になってからは佐世保名所の随一にあげられて、さまざまな歴史の跡が刻まれました。

清岩寺の特徴は、境内をぐるりと取り囲むような断崖です。
本堂の形状に沿って石の壁が切り取られ、そこに本堂が嵌め込まれたようになっています。

毎年8月8日から10日までの3日間にわたり「四万六千日祭」が行われ、これは佐世保市の年中行事ともなっていますが、この期間に一日参拝すれば、四万六千日詣ったと同じだけの御利益を得ようとたくさんの参拝者で賑わいます。
この四万六千日祭では春秋のお彼岸とともにご本尊が御開帳されます。
四万六千日祭の間に一日参拝すれば、四万六千日(約126年)参拝したのと同じご利益があるといわれてます。
この46000という数字は、人の一生に見立てた一升ますに、米粒が46000粒入る事に由来しています。

期間中にはたくさんの夜店が建ち並び、恒例の「浴衣コンテスト」や縁日に加え、音楽演奏や映画祭にて1日1作ずつ上映されます。
また恋愛・仕事など様々な縁を結ばれるよう、縁結大護摩祈祷も行われます。

現在の本堂は1758年(天明5年)に当時の平戸藩主松浦清(静山)の寄進により建立されたものだそうです。
本堂に安置されているご本尊は精悍なお顔立ちの像高約2mの十一面観音の木像で、伝承では行基の作とされ、九州七観音の一つとされています。

さらに本堂ご参拝の際には、本堂前の一対の石灯篭にもご注目ください。
その棹の部分に結んだ紐が刻されていて、とても珍しいデザインになっています
これも観音様とご縁を結びたいという信心の表れかもしれません。

本堂の裏、福石山の北側には岩陰(龍神洞穴)は弘法大師が羅漢像を安置したことより「羅漢窟」とも称されています。
その岩窟も、天明8年(1788年)に松浦清が再建したものだそうです。

行基七観音

行基は、九州北部の七ヶ所を訪ね歩き観世音菩薩の木造を七体彫りました。
奈良時代の初め、天皇の命により仏教布教のため諸国を廻っているときに、肥後の国宇土郡で橋の袂で苦しんでいた娘を介抱し、村人から大川に架かる橋が、通行人に祟っていると聞きました。村人の話によると、この橋の材料となった大木は、遠く朝鮮半島の百済から大津波により流され、この地で橋にされたと言います。

行基菩薩は、「橋というものは人を渡して多くの人を助ける慈悲の心がなければならぬのに、人に祟るとはなにごとぞ、仏に代わって汝を七つに切り海中に投じ流れ着いた所を仏縁の地とし観音を刻んで人々を救う霊場としよう」と言って、錫杖で、はっしと打たれると橋げたは七つに割れて海上を流れていったそうです。
行基菩薩は、流れ着いた浦々を廻り、観音を刻んで本尊として霊場を開かれた。その霊場とは下記の通りです。

1)熊本県宇土郡岩戸観音
2)佐賀県藤津郡竹崎観音
3)長崎県南高来郡堂崎観音
4)長崎県北高来郡田結観音
5)長崎県西彼杵郡脇崎観音
6)長崎県佐世保市福石観音
7)長崎県北高来郡和銅寺観音

南無大師遍照金剛

昭和中期の敗戦前後に空襲等で避難してきた人々の仮住まいの場所になったり、戦後においては博打打たちが縁起を担ぎ羅漢様の首を持ち去ったりと、現在は往時に比べ羅漢像の数も減ってしまっているそうです。
この岩窟近くからは遠く佐世保港を望むこともできます。

九州西国霊場 第二十八番札所 円通山 常安寺

次回は九州西国霊場「第二十八番札所 円通山 常安寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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