九州西国霊場 第二十一番札所 清水山 見瀧寺 寳地院

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九州西国霊場
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九州西国霊場 第二十一番札所 清水山 寳地院

清水観音の通称で親しまれている寳地院は、延暦22年(803年)、桓武天皇の勅願により、伝教大師最澄の名代として来山した比叡山黒谷、聖命上人により開創されたと伝えられています。

九州西国霊場~より

『概略』

清水山 見瀧寺 寳(宝)地院
(御朱印)

創建

延暦22年(803年)聖命上人

宗派

天台宗

別称

清水観音

ご本尊

千手観世音菩薩像(九州西国霊場ご本尊)

ご真言

おん ばざら だるま きりく (天台宗系)

千手観世音菩薩について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

住所・連絡先

佐賀県小城市小城町松尾清水2209-1番地 TEL 0952-72-2840
(地図)

アクセス

JR唐津線「小城駅」下車(タクシー利用にて15分)
長崎自動車道 小城スマートインターからで10分
佐賀大和インターから県道48号線経由にて30分
多久インターからで国道203号線経由にて20分
清水観光駐車場(無料)を利用

ご詠歌

にごらじな ちかいもふかき のりのみず ながれもつきぬ たきのしらいと

杉の巨木と路傍の仏が迎える古刹(第二十一番札所 見瀧寺寶地院)

宝地院は通称、清水観音の名で親しまれていて、延暦22年(803年)桓武天皇の勅命により伝教大師・最澄の名代としてこの地を訪れた聖命上人により開創されたと伝えられています。
開創当時は300以上の僧坊、堂宇がある大寺院でしたが、1409年の兵乱にて焼失しましたが、後に鍋島藩主・鍋島勝茂が武運長久と国家安康を祈り、 寛永4年(1627年)隣江山従持豪舜法印を中興開山とし、 観世音菩薩を勧請し観音堂を建立し、鍋島家累代の祈願所となったそうです。

前置きが長くなりましたが、まずは相当の年代が感じられる仁王門をくぐり、

佐賀の名木にも指定されている推定樹齢500年という杉の巨木などの鬱蒼とした木々に囲まれた参道を進ます。

森林浴をしながら路傍に目をやれば、手作り感満載の仏様たちが、参拝者を出迎えてくれます。

また参道には磨崖仏もお祀りされています。

そんな仏様見ながら歩を進める参道の道すがらには往時を偲ばせてくれる堂宇が点在しています。
そのうちのひとつに清水森正一位稲荷堂があります。

そして円通堂
円通堂は、小城新四国霊場第二十八番(本尊:大日如来)・同四十一番(本尊:十一面観音)となっていまて、仁王門をくぐった先の大きな石橋を渡った所にあります。
ここから本堂に通じる長い坂道が始まります。
堂内の祭壇上部には、中央に大日如来、向かって左手に弘法大師(空海)、右手に伝教大師(最澄)が安置されています。

さらには江戸時代の建立と伝わる弁財天堂・・・

そんな堂宇一つ一つに参拝しながら、天然石を並べ敷き詰めた石段を上り詰めれば、本堂域です。
歴史が感じられる山門が「ようお参りに来られた」とばかりに出迎えてくれます。

山門をくぐれば古刹としての威厳を感じられる銅板葺きの寶地院本堂
屋根瓦や本堂幕には、鍋島家累代の祈願所であるため、鍋島家の家紋の「杏葉紋」が見受けられます。

九州西国霊場 第二十一番札所 清水山 寳地院

堂前には大日如来をはじめ

数多くの石仏が参拝者を迎えてくれています。

そして本堂裏手に回ると少々下ったところに鏡山十一面堂があります。

霊場感満載のお堂です。

本堂域の参拝を終え、本堂横のに石段を下ると、この寺を象徴する見どころの落差75メートルの「清水の滝」があります。

別名の珠簾(たますだれ)の滝の名を彷彿とさせる景観は圧巻です。

土用の丑の日に詣でて、この滝のしぶきにかかると病気にかからないと言われ多くの参拝客が来られるそうです。
そのためにお滝行の更衣所やお籠り堂も整備されています。また滝を背にした広場は綺麗に整備され訪れた人々の憩いの場ともなっているようです。

南無根本伝教大師福聚金剛

門前には十数軒の鯉料理店が並び、清水観音の浄水で清められた鯉の料理が供されています。

清水山見瀧寺宝地院(清水観音)では隣接する清水(きよみず)の滝で滝受け行が行われていました。
明治時代、清水観音にやってくる行者や信者の人たちの宿場として創業し、そのお客様達に鯉の刺身を水で洗いにしてふるまったのが小城市での鯉料理の始まりだそうです。

その由来は、旅籠を開設するにあたり深川忠左ェ門が夕食の料理等について、第21世住職の円海大和尚に相談したところ、佐賀藩主第10代藩主の鍋島直正公の直命をうけて、円海大和尚の実父の馬術指南役・八代文辰が元治元年(1864年)、殖産興業として佐賀藩に養蚕生産技術を広める為、長野県信濃に派遣され、その技術を習得する間、夕膳で鯉の洗い、鯉濃汁(こいこく)を食した話を僧侶になる前に聞かされたことを想い出し、忠左ェ門に生鯉の料理方法を提示し助言したことによるそうです。

次回は九州西国霊場「第二十二番札所 竹崎山 観世音寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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