九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳院

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九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳(ごん)院 九州八十八ヶ所百八霊場
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九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳(ごん)院

金剛勝山 蓮厳院(れんごんいん)は平安時代から続く古刹で、本堂と庫裡は藁葺き屋根。庫裡は県内では少なくなったクド造りとなっています。ご本尊阿弥陀如来2体と薬師如来1体は国の重要文化財で全国でも数少ない定朝様式の仏様として知られています。

九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

金剛勝山 蓮厳(ごん)院
(御朱印)

創建

平安時代

宗派

真言宗 御室派

ご本尊

阿弥陀如来坐像
(お御影)

ご真言

おん あみりた ていぜい から うん

阿弥陀如来について

阿弥陀如来は、無限の寿命を持つことから無量寿如来または無量光如来と漢訳されています。『無量寿経』には 「諸仏の中に於いて光明最尊第一にして、この光にあう者をして一切の苦から免れしめる」 と無量の光明の徳と無限の慈悲が説かれています。
限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。
四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。
ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
仏像では、阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。
さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるともいわれ、その来迎の様子をあらわす場合もあります。

真言密教で表される阿弥陀如来は、衆生の宗教的素質がどのようなものかを妙(たえ)に観察し、 真理の教えを説いて疑惑を断じ、衆生にその本性が清らかで蓮華のようであることを知らしめる 大日如来の妙観察智の徳をつかさどる仏です。つまり大日如来の徳の一つを阿弥陀如来が受け持っているわけです。

住所・連絡先

佐賀県鹿島市大字山浦甲1476 TEL 0954-62-1375
(地図)

アクセス

JR長崎本線肥前鹿島駅よりタクシー10分
JR長崎本線駅肥前鹿島駅前バスセンターから祐徳バス山浦行、筒口下車、徒歩1分
誕生院から国道444号線を西へ、寺標を左折する
祐徳稲荷神社より車で5分
現在バイパスが開通して能古見郵便局より約300m。
境内左側に駐車場あり

ご詠歌

ありがたや 弥陀の光に 導かれ 仏の庭を 踏むぞ うれしき

数少ない定朝様式の仏像(第六十三番 蓮厳院)

蓮厳院は一見おだやかな田園風景の中に佇む民家と見紛うような素朴な建物ではありますが、かつて、龍猛(りゅうみょう)菩薩が能古見庄(のごみしょう)の山上にある天然の岩窟に如来石という石があることを知り、麓に林庵を建立してその石を礼拝したと伝わっています。
延暦23年(804年)弘法大師が入唐する前に、林庵で修行し蓮厳院と号しました。

後の保安2年(1121年)興教大師・覚鑁が再建しました。
さらには、保元3年(1158年)後白河天皇が一国一伽藍の創建を発願し、当地には慶照上人を開基として金剛勝院が建立され、蓮厳院はその一支院となりました。

かつては金剛勝院は壮大な寺院だったようで、地誌の「鹿島志」によれば「仏殿を作り、講堂、鐘楼、大門、中門みな備わる。門内に祠を構え八幡神を以て寺鎮となす。大門の外に路をはさんで十二の子院あり」と記されています。

しかし、第六十二番札所の誕生院と同様、永禄年間の大友宗麟の兵火により焼失し蓮厳院のみとなってしまいました。
現在、蓮厳院が建っているところは当時の金堂の跡といわれています。

蓮厳院の本堂は藁葺きで向拝がついています。庫裡も同様に藁葺きでこの地方独特の「くど造」という「鈎型」になっているのが特徴の屋根です。
なお、現在は本堂・庫裡共に改築されたようで瓦屋根となっているようです。

九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳(ごん)院

本堂裏手にまわると白亜の収蔵殿があり、戦国の兵火による消失を免れた二体の阿弥陀如来、一体の薬師如来が安置され、金剛勝院の時代を彷彿させてくれます。
その三体とも定朝様の流れをくむ平安時代末期の作と推定され、国指定の重要文化財となっています。

龍猛菩薩

龍猛(りゅうみょう)菩薩は大日如来の直弟子の金剛薩埵(こんごうさった)より真言の法を授かった人間界に於ける第一祖です。
その経歴は、南インドのバラモンの家に生まれて若い時にバラモン教を学び、欲望が苦しみの元であることを悟ってからは欲望を捨ててヒマラヤ山中に行き、あらゆる教えを記憶した後に南インドに戻り鉄塔の中に入って大日如来の直弟子の金剛薩埵から曼荼羅の法を受けたとされています。

南無大師遍照金剛

蓮厳院の奥之院岩屋山興法寺は新儀真言宗の祖、覚鑁上人(興教大師)幼少の折の修行聖地で、蓮厳院は上人13歳で仏門に入る時、本山二利寺寛助大僧正の弟子になられた勝縁の寺としても知られています。
またご本尊は千手観音で病気平癒のご利益があります。 境内のイロハモミジは樹齢350年と推定されており、佐賀の名木100選に選ばれています。

九州八十八ヶ所百八霊場第六十四番札所 普賢山 龍照寺

次回は九州八十八ヶ所百八霊場第六十四番札所「普賢山 龍照寺」をお伝えします。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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