![九州八十八ヶ所百八霊場第六十二番札所 密厳山 誕生院](https://officephoenix.net/kyushu-henro/wp-content/uploads/2023/09/62-01.jpg)
誕生院は、真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられたお寺です。境内には、金堂、本堂、鐘楼堂などが建ち、四季折々の花が咲き乱れ香煙絶えることがありません。御本尊は錐鑽身代不動明王です。
『概略』
密厳(ごん)山 誕生院
(御朱印)
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別称
錐鑽(きりもみ)身代不動尊
創建
応永12年(1405年) 足利三代将軍義満 発願
沙門定成上人 創建
宗派
新義真言宗
ご本尊
錐鑽身代不動坐像
(お御影)
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ご真言
のうまく さんまんだ ばだらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん
不動明王について
不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。
空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。
不動十九観とは
不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。
1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。
住所・連絡先
H3 住所・連絡先
佐賀県鹿島市納富分2011 TEL 0954-62-3402
(地図)
アクセス
JR長崎本線線肥前鹿島駅から祐徳バス祐徳稲荷行、誕生院前下車、徒歩3分
肥前鹿島駅から国道207号線の鹿島市泉通り交差点を右折し、さらに末光交差点を右折
境内に駐車場あり。
ご詠歌
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根来なる いほぶの山に 澄む月の 光は長く 世々を照らさん
他の霊場札所
九州三十六不動尊霊場第二十四番札所
霊場ご本尊・錐鑽身代不動尊
ご真言
のうまく さんまんだ ばだらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん
(御朱印)
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ご詠歌
夢の世は 夢もうつつも 夢なれば さめなば 夢もうつつとをしれ
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覚鑁聖人(興教大師)誕生の地(第六十二番 誕生院)
覚鑁聖人は当時荒廃していた高野山を復興されたため真言宗中興の祖といわれ、また高野山内で新たな教義を打ち立て、僧侶の堕落停滞による真言宗没落の危機から宗派建て直しの緊急策を敢行しました。
しかし現状維持を望む保守派と覚鑁派による決定的な対立が発生してしまいました。
その結果、高野山保守派との対立からの混乱を避け、高野山を出て根來寺を創建され教義を発展させ新義真言宗の開祖となりました。
そして江戸時代初期生前の功績を評価され東山天皇より「興教大師」の称号を追贈されました。
その覚鑁聖人誕生の聖地に建立されたのがこの「誕生院」です。
室町時代、足利義満が発願し定成上人によって創建された誕生院ですが、戦国時代からの幾多の戦火により廃滅してしまいました。
以来多くの人々が復興に努力されましたが荒廃したまま「誕生院」の地名と「覚鑁屋敷」の名称のみが伝えられてきました。
やっと大正時代になって鍋島直淋公によって再興されました。
参道正面には大阪観心寺金堂の折衷様式の手法を取り入れた入母屋造の壮大な金堂が建っています。
こちらには、興教大師覚鑁聖人がお祀りされています。
また右手には入母屋造に唐破風の向拝がついた本堂(講堂)があります。
こちらにご本尊の「錐鑽(きりもみ)身代不動尊」がお祀りされています。
誕生院では、本来は参拝者が立ち入れない内陣に入ることが許され、間近からこの不動尊を拝すことが出来ます。
その他にも肥前西海七福神めぐりの「布袋尊」もこちらに奉安されています。
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![九州八十八ヶ所百八霊場第六十二番札所 密厳山 誕生院](https://officephoenix.net/kyushu-henro/wp-content/uploads/2023/09/62-01-300x201.jpg)
このお不動様、覚鑁聖人が高野山にて暴徒に襲われたとき、不動三昧に入っておられたため、暴徒には二体の不動尊が坐しているように見えたそうです。
そこでいずれが聖人か確かめるため一方の膝を錐でもむと不動尊が木像でありながら聖人の身代わりになって人間の生血を流されたと伝わるお不動様です。
もともとは高野山にお祀りされていましたが、その後根来寺に移され、誕生院再建のおりお迎えしたそうです。
以来、身代わり災難除の不動尊として篤く信仰を集めています。
また「誕生」ということから安産祈願や誕生祈願はもとより、会社等の開業や新車の交通安全などの新たな門出を祝い、未来を祈願するお寺として参拝者がたえません。
さらには、第六十一番札所の「高野寺」とともに肥前西海七福神めぐりの寺社ともなっていて、こちらでは家庭円満・千客万来・商売繁盛・福徳をもたらす「布袋尊」が祀られています。
桜・藤・つつじ・しゃくなげ・もくせいなど四季折々の花木で満ちた5200坪にも及ぶ境内には金堂、本堂、鐘楼堂などの伽藍の他、覚鑁聖人ゆかりの遺跡も多く、誕生の折に使用したと伝わる産湯井戸や聖人の臍の緒を埋めたとされる包衣塚などもあります。
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南無大師遍照金剛
新義真言宗について
平安時代、法を求め中国へ渡った空海は、時の都長安にある青龍寺にて恵果阿闍梨より密教の奥義を授かりました。日本に戻られた空海は高野山を開き真言宗を起こし、鎮護国家・済世利人に勤められた。
空海が入定後、約300年後高野山で真言密教を修めた覚鑁(かくばん)は、教学復興の拠点として現在の位置に根來寺を開かれました。
その後、多くの大徳が覚鑁の教えを守り、その学風は隆盛を極められた。
天正の頃、勢力の拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ多くのお堂や経文、宝物を焼かれてしまいました。
しかし元和の世、徳川頼宣の下護により、ようやく復興がかないました。
その後、種々の変遷を経て昭和26年宗教法人法の公布にともない、祖山護持の志が集い、昭和28年「新義真言宗」を公称するに至りました。
~根來寺ホームページ~より
![九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳(ごん)院](https://officephoenix.net/kyushu-henro/wp-content/uploads/2023/09/63-01-300x201.jpg)
次回は九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所「金剛勝山 蓮厳(ごん)院」をお伝えします。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌
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