九州西国霊場 第九番札所 高城山 吉祥院 観音院

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九州西国霊場
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九州西国霊場 第九番札所 高城山 吉祥院 観音院

通称「高城観音」あるいは「子安観音」とも称ばれる観音院・吉祥院は、神亀4年(727年)、諸国巡錫中の行基菩薩が、衆生教化のため自ら一刀三礼して如意輪観音を敬刻、安置したことに始まるとされています。当初は、開基に繋がる伝承より「生まれてくるのを慶ぶ」との意味で「生慶寺」と呼ばれていました。

九州西国霊場~より

『概略』

高城山 吉祥院 観音院
(御朱印)

別称

高城山子安観音

創建

神亀4年(727年) 行基菩薩 阿曽小連

宗派

天台宗

ご本尊

如意輪観世音菩薩坐像(九州西国霊場ご本尊)

ご真言

おん はんどま しんだまに じんばら うん
おん ばらだ はんどめい うん

如意輪観世音について

如意輪観音は6(あるいは7)観音の一つで、意の如く願いをかなえてくださるといわれていて、人々に金銀財宝を与え、その上それを得たのちに精神の幸福までもたらしてくれるという有難い観音様です。その持物は全ての願いを叶えると言われる「如意宝珠」と仏教そのもの象徴であり、煩悩を打ち砕く武器でもある「法輪」であり、そのお心を示しておられます。
多くの坐像では、左ひざを立てて座り、これからどのように人々を救おうか考えている様子を表している思惟手(しゆいしゅ)と言われる手を頬に添えるお姿をよく見かけることが出来ます。
通常、如意輪観音像は6本の手を持っています。

住所・連絡先

大分県大分市千歳337−33 TEL 097-558-1299(吉祥院), 097-558-1350(観音院)
(地図)

アクセス

JR日豊本線高城駅下車、徒歩15分
大分自動車道・米良ICを出て、左折。米良バイパスを経由しそのまま直進。
「美晴台団地入口」信号を右折し、「高城観音」看板に従って上る。
門前に駐車場(50台)あり

ご詠歌

もろびとの こころのやみも はれぬべし ひかりかずそう のりのともしび

安産祈願で有名(第九番札所 高城山吉祥院・観音院)

通称「高城観音」あるいは「子安観音」とも称ばれるこの寺は、神亀4年(727年)、諸国巡錫中の行基菩薩が、衆生教化のため自ら一刀三礼して如意輪観音を敬刻、安置したことに始まるとされています。当初は、開基に繋がる伝承より「生まれてくるのを慶ぶ」との意味で「生慶寺」と呼ばれていました。

現在の高城子安観音は、隣り合わせに伽藍を構えている吉祥院と観音院が交互に同一のご本尊・如意輪観音菩薩を守り、安産や各種祈願を受け付けています

その伝承は、和銅年間(708年~15年)高城の城主だった阿曽小連(あそこむらじ)は高城山麓に住む古我中納言の娘と出会い結婚しました。
まもなく妻は懐妊し、出産する運びとなりましたが、その出産は7昼夜苦しむという大変な難産となってしまいました。
その苦しみを見かねて、小連は日頃信心していた如意輪観音に「どうか我が妻と子どもをお救い下さい。」と安産を必死で祈願したそうです。
すると、その祈りの最中、遠くから産声が聞こえ、男児を無事出産したと伝わっています。
阿曽氏はそのお礼として、すべての女人の安産のために堂宇を建立して、霊験あらたかなこの「子安観音」を奉安し、近隣の人たちにも礼拝を勧めました。

その後、奉安された如意輪観音は鉈(なた)彫りのままでしたので、神亀4年(727年)諸国巡錫中の行基に頼み、行基はその尊像に一刀三礼してノミを入れ、開眼供養をし、寺を建立しました。
当初は「生まれることを慶ぶ」ことから「生慶寺」と号しました。

15世紀に入り、豊後の大友一族の天正の乱の際に全山焼失しましたが、ご本尊の如意輪観世音菩薩は住職が背負って池に沈められ難を逃れました。
その後、数十年が経ち、沈められていたご本尊が池から浮かび上がってこられたため、再建されたと伝わっています。

さて前置きが長くなりましたが、門前の駐車場に車をとめさせていただき阿吽の仁王像の間の参道山門に向かいます。
その両脇に立ち並ぶ多数の石像には安産を願う願掛け布が掛けられています。

参道を抜けると、こちらの山門が迎えてくれ、その山門の手前には、風神雷神像が奉安されています。
風神、雷神は、風雨の順時と五穀豊穣による天下泰平を司る神とされています。

山門を抜けて境内に入ると、昭和58年(1983年)に建立された「慈眼堂」と呼ばれる供養堂があります。
先祖供養、水子供養は慈眼堂で執り行われるそうです。
堂内には、黒漆の水子位牌が安置されております。
堂の前には、伝承の主「阿曽小連」の坐像があります。

本堂(観音堂)に上がると向かって右手に、不滅法灯があり、この法灯は、伝教大師最澄が、比叡山に登り、延暦寺の前身である一乗止観院を開いた際に灯され、以来1200年にわたって絶えることなく不滅の法灯として守られ続けられた法灯です。

内陣のご本尊を仰ぎ見ながら、お勤めをさせていただいていると、こちらの如意輪観世音菩薩様は、多くの尊像のお姿では手が6本ありますが、こちらの尊像は2本であることに気が付きました。

お勤めも終わり、本堂の天井を見上げると、吉金画伯が比叡山根本中堂の天井画を参考に描いたと言われる四季折々の花の174枚の天井画を見ることができます。

南無根本伝教大師福聚金剛

本堂の隣の部屋が祈願の受付で、納経印もこちらでお授けいただけます。
お預けしてあった納経帳をいただきに伺うと、お供えもののお下がりの菓子が籠に入れられていて、「ご自由にお持ちください」と書いてありました。
お寺の方からもお勧めいただいたので、これもお接待かなということで、有難く頂戴してお寺を後にすることにしました。

折しも参拝させていただいた日は「七五三参り」を控えた11月3日(文化の日)でしたので、我が子の健やかな成長を祈ろうと多くのご家族がお参りにみえていました。

九州西国霊場 第十番札所 九六位山 圓通寺

次回は九州西国霊場「第十番札所 旧六位山 圓通寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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