九州西国霊場

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九州西国霊場

九州西国霊場 第十七番札所 巨泉山 永興寺

人里離れた閑雅な地に建つ永興寺は、かっては叡興寺と号していたとされ、創建は、永観2年(984年)とも貞観2年(860年)ともいわれ、比叡山の僧による開山というだけで、それが誰なのかは特定できていません。虎御前建立の曽我兄弟供養塔があります。
九州四十九院薬師霊場

九州西国霊場 第十三番札所 阿蘇山 西巌殿寺

インドより来朝された最栄が、聖武天皇の勅願により自ら十一面観音を刻み、これを本尊として開基されたと伝えています。西巌殿寺はもともと単独の寺院の呼び名ではなく、最栄が最初に建立した寺院を本堂として、37の僧侶の坊舎がつくられ、これらの総称が西巌殿寺です。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十番札所 九六位(くろくい)山 圓通(えんつう)寺

百済の僧、日羅により開山されたと伝えられ、険しい山道に難渋する日羅を、九頭の鹿と猪が霊地に案内したことから「九鹿猪山」と名づけられたとされています。 九六位山(452メートル)の山頂近くに圓通(えんつう)寺からは、大分市や別府湾、臼杵市、臼杵湾が遠望できる。
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九州西国霊場

九州西国霊場 第九番札所 高城山 吉祥院 観音院

通称「高城観音」あるいは「子安観音」とも称ばれる観音院・吉祥院は、諸国巡錫中の行基菩薩が、衆生教化のため自ら一刀三礼して如意輪観音を敬刻、安置したことに始まるとされています。当初は、「生まれてくるのを慶ぶ」との意味で「生慶寺」と呼ばれていました。
九州西国霊場

九州西国霊場 第八番札所 飛来山 霊山寺

霊山(標高610m)の中腹に霊山寺が建っています。山麓の稙田荘の豪族祐世がこの山中で十一面観音を感得し、草庵を建てたのが始まりで、その後、来朝した那伽法師がインドの霊鷲山にそっくりなのに驚き、「飛来山」の山号をつけたと伝えられています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第七番札所 宝籠(ほうろう)山 宝満寺

宝満寺は、眼下に別府の温泉街が広がる別府で一番古い寺です。六郷満山ゆかりの仁聞菩薩の開基で、本尊の十一面千手観世音菩薩立像は聖徳太子の御作と伝えられています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第五番札所 長岩屋(ながいわや)山 天念寺

天念寺はその中山として、六郷座主の役職をもっていたといわれています。天念寺では旧正月七日に「修正鬼会」が開かれる。これは国の重要無形民族文化財に指定されているもので、前の年の悪を正し、その年の吉祥を祈るためのものだと伝わっています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第三番札所 補陀落(ふだらく)山 清水(せいすい)寺

開創は養老元年(717)、仁聞菩薩によると伝わっています。その後、京都清水寺の本尊を勧請して七堂伽藍を復興されました。ご本尊は十一面千手観音で、平素は秘仏となっていて、毎年1月10日と8月10日の2回だけご開帳されます。
九州西国霊場

九州西国霊場 第二番札所 大久(だいきゅう)山(だいきゅう) 長谷寺

英彦山から山国川の流れに沿って下ると、奇岩名勝で知られる耶馬渓があります。その耶馬渓の先、八面山の東麓の三光西秣にある長谷寺は、慶雲元年(704)、仁聞菩薩が十一面観音を敬刻し奉安したのに始まるとされています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第一番札所 英彦山 霊泉寺

英彦山(1200メートル)は福岡県と大分県の県境にある山。霊泉寺はその麓で天台宗英彦山修験道の法灯を守ってきた霊場です。
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