九州西国霊場 第十八番札所 山本山 観興寺

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九州西国霊場
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九州西国霊場 第十八番札所 山本山 観興寺

古代、筑後草野を治めていた豪族の草野太郎常門が狩りをしていた時、豊後国日田郡で榧(かや)の伐木にまつわる霊夢を見ました。
その後榧の伐木は筑後川を下って、常門の在所である山本の里に流れ着いたといわれています。
常門はこの榧の霊木に千手観音を刻し、白雉( はくち、びゃくち、しらきぎす ) 元年(650年)山本の里に堂宇を建立して安置、「普光院」と名づけたのが観興寺の始まりと伝わります。
その後、常門は本格的な寺院建立を発願し、堂塔僧坊を具備する一大寺院の構えを整え、時の天智天皇より観興寺の勅号が下賜されるとともに「普光院」の勅額を賜りました。
さらに斎田(神饌に用いるための米を栽培するための田)75町も喜捨されました。
感動した常門は出家して自ら観興寺の座主となり、ますます観音信仰への帰依を深めたとされています。

九州西国霊場~より

『概略』

山本山 観興寺
(御朱印)

創建

開基 白雉( はくち、びゃくち、しらきぎす ) 元年(650年)草野太郎常門

宗派

曹洞宗

別称

山本の観音様

ご本尊

千手観世音菩薩像(秘仏・九州西国霊場ご本尊)
12年に一度、亥年の春ご開帳

ご真言

おん ばざら だるま きりく (天台宗系)

千手面観世音菩薩について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

住所・連絡先

H3 住所・連絡先

福岡県久留米市山本町耳納2129 TEL 0942-47-0532
(地図)

アクセス

JRまたは西鉄「久留米駅」からバスでにて「山本」下車 徒歩約10分
駐車場有り

ご詠歌

のどかなる このやまもとの はるかすみ みのりのはなも いろやそうらん

霊木・かやの木伝説(第十八番札所 観興寺)

観興寺は久留米市の耳納山の山裾の斜面の杉木立の中に伽藍を構えています。

山門をくぐるとすぐ左手に地蔵堂が、そして右手にはには釈迦堂があります。
山門より見上げるような長い石段を登り詰めると山本町の町並みも見渡せる観音堂があり、こちらにご本尊の鎌倉後期の作と伝わる千手観音菩薩像が祀られています。
このご本尊は秘仏で、12年に一度、亥年の春しか開帳されないそうです。
観音堂の横には、伝説に纏わる悠々たる梢を揺らすカヤの木が瑞々しい葉を茂らせ、天空へ 伸ひ上がるその勢いは樹齢を感じさせません。

釈迦堂といい、観音堂といい禅宗の寺院そのままの枯れた風情が満喫できます。

観興寺は当初法相宗に属していたが、その後天台宗に転じ、正保元年(1644)千光寺(現:久留米市山本町)の末寺の曹洞宗の禅宗寺院として再興されました。
観興寺には、創建故事や千手観音の霊験を伝える、鎌倉時代後期の作といわれる「絹本着色観興寺縁起」の絵図二幅が寺宝として遺り、これは国の重文に指定されています。

九州西国霊場 第十八番札所 山本山 観興寺

かやの木伝説

今から約千三百年の昔、草野太郎常門(つねかど)という狩りを仕事とする若者が山本地方に住んでいました。
ある日、常門はいつものように朝まだ暗いうちから狩りに出ました。
日も真上に昇ったころ、獲物を見つけ、追って行くうち道に迷ってしまいました。
すでに辺りはとっぷりと暮れかかっていました。

そこで一夜の宿を探していると、由緒ありげな大きな館のあるところに出ました。
常門は「狩りの途中、道に迷い困っている者です。一夜の宿をお願いします」と大声で言いましたが、屋敷内は静まりかえり何ひとつ物音もしません。
しかたなく屋敷の奥に進んで行くと微かな明りが見えたので、近づいてみると、仏前で若い娘が、ただひとり一心にお経を読んでいました。
常門は不審に思い娘に「ここはどこでしょうか」と声をかけました。
すると娘は不安そうに「ここは、豊後の国日田の郡石井の里でございます」
と答えました。

常門は「狩りに来て道に迷い困っているので一夜の宿をお願いしたい」と頼みますと娘は頷きました。

ただ山深い里の広い屋敷に、ひとり娘がいることに不思議に思い、常門はわけを娘にたずねますと、娘は「私は玉姫と申します。私の家は、名高い日下部春里曲樋原(くさかべはるさとじょうだいばる)の長者で、末の娘でございます。もともと家族や多くの家臣がいたのですが毎夜恐ろしい悪い鬼がどこからともなく現れ一人ずつ連れ去っていってしまいました。今夜は最後に残った私の番です。そのため心を静めようと観音さまにお祈りをしていたところです」
と健気に話しました。

これを聞いた常門は、玉姫を守ってやろうと決心し、常門と伴をさせていた三匹の犬は四方に分かれて、悪い鬼が来るのを待ち続けました。

真夜中、生臭い風が木々を倒さんばかりに吹き荒れだし、突然、3匹の犬たちが虚空に向かって吠えだしました。
常門は吠える虚空に向かって弓を引き、何本もの矢を放ちました。
すると、雷が鳴り響き、今まで吹き荒れていた生臭い風が止み、悪い鬼は消え去ってしまいました。

朝日が登り始めたころ、常門は血が落ちていることに気づき、あとをたどって串川山の頂に登っていくと、昨夜射た矢が榧の大木に何本も深く突き刺さっていました
と同時に黄金色に輝く気品ある僧が紫の雲の上に現れ、
この榧の木は千手観音の霊木である。おまえはたいへん罪深いことをした。この罪から逃れることはできない。だからねんごろに供養し重罪を償え
と告げると吹き消すように消え去りました。

常門は急いで玉姫のもとに帰り、ことの次第を話しました。
すると、玉姫は
「父がある夜の夢にひとりの僧が現われ『串川山の頂に千枝のかやの木がある。これを伐って観音の像を刻め』と告げられ父は聖なる約束をしました。父はこの木を伐り倒しましたが、そのままに日を過ごし亡くなりました。このため災いが家族の滅亡となったのでしょう」
と驚きました。

常門は再び山に登り、霊木に向かって玉姫の父の罪をわび「償いをします」と念じました。

しかし、その霊木はたいへんな大木で容易く持ち運びができなかったので、常門は「霊木であるならば大雨の便に乗じて私の住む山本に来てください」と深く念じ、玉姫を伴って山本に帰りました。

それから数日後大雨が降りました。
朝がた、近くの村人たちが筑後川にかかっている神代橋に光り輝くかやの大木が引っかかっているのを見つけ大騒ぎしていました。
これを聞いた常門は、急いで行ってみると、その大木は串川山の霊木で射た矢も突き刺さったままでした。
常門はこの大木は訳がある霊木であることを村人たちに話しましたが、霊木は大きいため、神代橋から常門の家まではまだ一里ほど山へ登ったところだったので、村人では運ぶことができませんでした。そこで常門はもう一度念じてみましたところ、その夜のうち常門の家まで霊木が運ばれてきていました。

常門は荒削りのまま千手観音として祀り、朝な夕なに供養しました。
その後、玉姫と夫婦になり大勢の子どもたちに囲まれ余生を安楽に送ったということです。

その千手観音さまは、常門亡きあと、ずっと後の時代に、きれいに彫刻され、いくたびかの戦乱にも焼けず、現在久留米市山本町にある観興寺に秘仏として安置されている観音さまと伝えられています。

南無釈迦牟尼仏・南無高祖承陽大師道元禅師・南無太祖常済大師瑩山禅師

寺の西側には浅井の一本桜があります。

幹周り4.3m、高さ18メートルの「山桜」で樹齢約110年といわれ、地元で大切に保護されており、毎年見事な花を見ることができます。
1986年には、市の保存樹木に指定され、市民の貴重な緑の財産として親しまれており、市内はもとより筑後地区や県外からこの桜を見に訪れる人々も、年々増えています。
ところが、平成3年の台風により、幹折れなどの被害を受け、枝先が枯れるなど樹勢の衰退が見られたので、地元の要望により回復作業を行い、勢いが回復し毎年春には淡いピンクの花を元気よく見せてくれるようになりました。 堂々たる風格で、花密度も高く、昼間・空の青さの残るため池に映る”逆さ桜”も一見の価値があります。
開花時期は「ソメイヨシノ」に対し一週間程遅れるのが通常です。

九州西国霊場 第十九番札所 石垣山 観音寺

次回は九州西国霊場「第十九番札所 石垣山 観音寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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