四国遍路にて奇跡的に病気を平癒した熱心な信者(水島安兵衛翁)により明治21年、現在豆田町に建立されました。御本尊は『不動明王』で現在のご尊像は第2世住職隆禅僧正が京都醍醐寺より招来した不動明王立像で理源大師の作と伝えられています。
『概略』
遍照山 明王寺
創建
明治21年(1888年) 水島安兵衛翁
宗派
真言宗醍醐派
別称
淡窓不動尊
ご本尊
不動明王立像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
ご真言
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ そわたや うんたらた かんまん
不動明王について
不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。
空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。
不動十九観とは
不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。
1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。
住所・連絡先
大分県日田市淡窓2-3-25 TEL 0973-23-7801
(地図)
アクセス
九州自動車道日田インターより車で約10分
日田駅より車で約5分
国指定史跡『咸宜園』より徒歩で約1分
境内に駐車可
ご詠歌
不動なる威き心の 御仏に この身ゆだねて 今日を生きなん
観光地の間近に(第九十五番 明王寺)
豆田町の古い家並みや日田温泉で観光地となっている地域の程近くに明王寺はあります。
明治21年四国遍路により病を癒された水島安兵衛翁により豆田町に創建されたのが始まりで、大正15年に現在の淡窓に移転して、現在も「淡窓不動尊」として地域の方々に親しまれているお寺です。
重厚な入母屋造の本堂に祀られているご本尊の不動明王像は第2世住職の吉水隆禅師が赴山の折に、京都の醍醐寺から招来した尊像で理源大師聖宝の作と伝わっています。
またその本堂天井には格子の一つ一つに般若心経の一文字一文字が多くの人の筆により書かれていて壮観な眺めを形作っています。
境内にも数多くの石仏が並び信仰の篤さを感じられます。
お参りを済ませた後、あまり行く方も少ないそうですが、多少距離が離れたところで車で行かざるを得ない場所に「奥の院」があると聞き及んでいたので、そちらにも足を延ばしてお参りすることにしました。
折しも秋真っ盛り、ひっそりと静まり返った奥の院境内は錦秋の彩に極楽浄土を感じさせてくれました。
南無大師遍照金剛
次回は九州八十八ヶ所百八霊場第九十六番札所「解脱山 賢龍寺」をお伝えしてまいります。
願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と皆共に仏道を成ぜんことを 合掌
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