九州三十三観音霊場第十番札所 無量寿山 弘法寺

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九州三十三観音霊場 第十番札所 無量寿山 弘法寺 九州三十三観音霊場
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九州三十三観音霊場 第十番札所 無量寿山 弘法寺

弘法寺は耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場第1番札所(本尊:十一面観世音菩薩)・同第32番札所(本尊:十一面千手観世音菩薩)・九州三十三観音霊場第10番札所(本尊:大悲観音)となっています。なお、耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場では総本部になっています。

『概略』

無量寿山 弘法寺

創建

昭和32年(1957年) 圓海 和尚

宗派

高野山真言宗

ご本尊

釈迦如来坐像

釈迦如来について

釈迦如来は、古代インドの小国の釈迦族の王子として、本名はゴータマ=シッダールタです。妻や子供もいて実在しましたが、28歳で王位継承者の地位を捨て、四苦(生・老・病・死)から解放される道をもとめ、各地の先覚や修行者を訪れ、6年にわたる苦行を経てガヤー村の菩提樹の下で大悟を得て仏陀(覚者)となった仏教の始祖です。
釈迦如来とはその釈迦が悟りを得た姿をあらしています。
また釈迦如来は、唯一現世で悟りを開いた人物とされています。

釈迦は、母である摩耶夫人の右わきから生まれたといわれています。また、生まれたばかりのとき、7歩歩いたあと天地を指さし「天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言われたことは有名です。
この世で1番尊いのは自分であるという意味に誤解されがちですが、ひとりひとりが尊い命で聖なる使命を持ってこの世に生まれてきたという意味です。
このときの姿をあらわしたものが、4月8日の花まつり仏生会灌仏会(ぶっしょうえ・かんぶっえ))に祀(まつ)られ、誕生釈迦仏と呼ばれています。

29歳で出家し、35歳で悟りを開き真理に目覚めてからは、仏陀(ぶっだ)・釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん、釈迦族の聖者という意味)・釈尊(しゃくそん)、如来などと呼ばれるようになりました。
この頃は人々に説法を説いていたそうです。

その後、45年間インドの諸国を説法して巡り教えを広めましたが、80歳に達した釈迦は死期を悟られ、クシナーラー域外の沙羅双樹下でかけつけたお弟子達に囲まれながら最後の説法を行い、自ら頭を北にし顔を西に向け横臥の姿で入寂され涅槃に入られたと伝えられています。

また釈迦如来を中心に文殊・普賢菩薩を脇侍とする釈迦三尊像も多くみられます。
密教尊としての釈迦如来は、人々を救済し、なすべきことを成就し、煩悩を消滅し涅槃を得る大日如来の智徳をつかさどる仏となっています。

悟りを開いた釈迦如来が残した様々な教えや言葉はお経として現在も使われています。

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

住所・連絡先

大分県中津市本耶馬溪町曽木2049-1 TEL 0979-52-2332
(地図)

アクセス

JR日豊本線 中津駅前よりバス30分
下曽木入口バス停から徒歩6分、青の洞門バス停から徒歩6分

ご詠歌

はるばると やばのみやまに まいりきて こころのくもり はれわたりける

史跡や景勝地に囲まれて・第十番札所 無量寿山 弘法寺

弘法寺は天下の景勝と知られる耶馬渓の競秀峰を望み、近くには「恩讐の彼方」で知られる青の洞門からも程近い地に伽藍を構えています。
また耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場第一番札所(本尊:十一面観世音菩薩)・同第三十二番札所(本尊:十一面千手観世音菩薩)・九州三十三観音霊場第十番札所(本尊:大悲観音)となっています。
なお、耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場は、先の住職・妙忍師ととも開創に尽力され総本部ともなっています。

昭和15年(1940年)から高野山大師教会として、22年(1947年)からは無量寿山弘法寺として、山国川河畔にありましたが、32年(1957年)より現在地に建立移転されたそうです。

さて寺標の間の緩やかな上り坂の参道を上ると、二本の門柱の間を通り境内に入ります。正面には不動明王が迎えてくれます。

九州三十三観音霊場 第十番札所 無量寿山 弘法寺

境内に入り右手に本堂があり、ご本尊の釈迦如来像が内陣中央にお祀りされています。
こちらが耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場第一番札所ともなっています。

境内には耶馬溪新四国八十八ヵ所霊場第三十二番札所となっている大師堂や

大悲堂などの諸堂があります。

さて今回の九州三十三観音霊場第十番札所は、不動明王立像の右隣に安置されています。

その他にも、所狭しと様々な石仏が境内には点在していました。

霊場ご本尊 聖(しょう)観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

南無大師遍照金剛

耶馬渓新四国八十八ヶ所は、耶馬渓全域の広大な地域に広がっていて、歩き遍路では1週間、車やバスでも3日間かかるそうですが、昨今では観光と兼ねて巡礼する方も増えているそうです。

九州三十三観音霊場 第十二番札所 西高野山 善通寺 椿大堂

次回は、九州三十三観音霊場 第十二番札所「西高野山 善通寺 椿大堂」をお伝えしていきます。
なお、十一番札所 桔梗山 三明院は、すでに公開してありますのご一読ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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