朱印

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九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第六番札所 広寿山 福聚寺

第六番札所の広寿山福聚寺は北九州市小倉北区足立の自然豊かな場所にある黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派の古刹です。秋には紅葉を見に観光客で溢れます。御本尊は「釈迦牟尼仏坐像」で、薬師霊場のご本尊が「薬師瑠璃光如来坐像」です。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第五番札所 右芳山 薬師院

薬師院は鞍手の町が一望できる荒五郎山の中腹にあります。創建は山口県の豊浦の里に願成院と称していたそうで、その後、安土桃山時代に当地に移転してきたと伝わっています。しかし、資料がないため、確かな縁起は定かではありません。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第四番札所 東照山 種因寺

弘仁元年(810年)伝教大師最澄の開基。ご本尊に薬師如来を安置し、伝教大師が謹刻した七仏薬師の一つであると伝わっています。種因寺の薬師如来は厨子入り秘仏で5年の一度の御開帳です。
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九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第三番札所 白馬(はくば)山 安国寺

暦応2年(1339年)足利尊氏が夢窓国師の勧めにより、南北朝の戦いに殉じた戦歿者の霊を弔うため、全国に建立した安国寺・利生塔(一国一寺一塔)の一つです。当初は、七堂伽藍を構えたが、文安元年(1444年)兵火により焼失。文明2年(1470年)再建。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第一番札所 龍頭光(りゅうとうこう)山 筑前 国分寺

奈良時代、天平13年(741年)聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺の建立を命じられました。この一連の流れに従い、当寺も、筑前の国の国分寺として創立されました。当初は絢燭豪華を極める大寺院で、その広大さは現在境内にのこる大きな柱の礎石にうかがい知ることができます。
九州二十四地蔵尊霊場

九州二十四地蔵尊霊場 第二番札所 医王山 堂塔寺

永禄年間、堂塔寺のあるこの地は薬師山(現堂塔山)とも呼ばれ、おそらくは薬師如来を本尊として、一堂をなす寺でしたが、その昔、大友宗麟の兵火により廃絶されしも、弘法大師のお告げを受け、住職、川端亮貞尼により、昭和38年8月に弘法大師を本尊に中興され、現在に至っています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十二番札所 金剛山 青龍(しょうりゅう)寺

青龍寺は阿蘇神社の神宮寺として創建されました。現在は阿蘇一の宮門前街中の「阿蘇神社」の北方400メートルほどのところに田中家の家屋の2階に小堂をつくり法灯を護持されています。ご参拝の際は必ず電話で予約してください。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十番札所 九六位(くろくい)山 圓通(えんつう)寺

百済の僧、日羅により開山されたと伝えられ、険しい山道に難渋する日羅を、九頭の鹿と猪が霊地に案内したことから「九鹿猪山」と名づけられたとされています。 九六位山(452メートル)の山頂近くに圓通(えんつう)寺からは、大分市や別府湾、臼杵市、臼杵湾が遠望できる。
九州西国霊場

九州西国霊場 第九番札所 高城山 吉祥院 観音院

通称「高城観音」あるいは「子安観音」とも称ばれる観音院・吉祥院は、諸国巡錫中の行基菩薩が、衆生教化のため自ら一刀三礼して如意輪観音を敬刻、安置したことに始まるとされています。当初は、「生まれてくるのを慶ぶ」との意味で「生慶寺」と呼ばれていました。
九州西国霊場

九州西国霊場 第八番札所 飛来山 霊山寺

霊山(標高610m)の中腹に霊山寺が建っています。山麓の稙田荘の豪族祐世がこの山中で十一面観音を感得し、草庵を建てたのが始まりで、その後、来朝した那伽法師がインドの霊鷲山にそっくりなのに驚き、「飛来山」の山号をつけたと伝えられています。
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