弘法大師

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九州三十三観音霊場

九州三十三観音霊場 第十二番札所 西高野山 善通寺 椿大堂

九州三十三観音第十二番札所、豊後四国八十八ヶ所総本山第四十八番札所である椿観音「善通寺椿大堂」と、弘法大師が修行された霊窟(椿大師発祥の岩窟)のある第四十九番札所、椿大師「椿堂 遍照院」が、一つの境内の中にあり弘法大師ゆかりの名刹です。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第八十八番番札所並びに第百八番札所 屏風山 鎮国寺並びに奥の院

大同元年(806年)に唐より帰朝した弘法大師は、先ず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲棚引くのを見られ、奥の院岩窟にて修法され、「この地こそ鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げを受け、一宇を建立し屏風山鎮国寺と号しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第百四番札所 黒髪山 大智院

黒髪山大智院は大同元年(806年)弘法大師により現在の武雄山内にそびえる霊峰黒髪山上に肥前地方としては最初に開創されました。明治11年に大火災により伽藍を消失してしまいましたが、法灯は護持され明治39年に佐世保の地に移転し復興が始まりました。
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九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第八十九番札所 太祖山 金剛頂院

金剛頂院は、大同元年(西暦806年)唐より帰朝した弘法大師が、博多の地に留まられていた時、当若杉山に登られ鎮護国家・救世利民の祈願を施された時に庵を結ばれた地に建つお寺です。戦乱がより焦土となってしまいましたが昭和17年に再建されたました。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第七十七番札所 高野山 最教寺

最教寺は、大同元年(806年)弘法大師が唐から帰朝した時、初めて護摩を焚いたところといわれています。現在奥の院には大師の護摩石と坐禅石があり住時をしのぶことができます。慶長12年(1607年)1真言教学の学問所である談義所を合併し復興しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十九番札所 黒髪山 西光密寺

西光密寺は古来より山岳信仰の霊山として名高い黒髪山のほぼ頂上にあります。弘法大師が遣唐使船が平戸係留の間に無事の渡航を祈念して黒髪山に登られ、帰朝の後にお礼参りのため再び登られ不動明王を爪彫りされ安置されたのが寺の始まりと伝えられています。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十七番札所 三間山 東光寺

東光寺の寺史には、弘法大師が巡錫の砌り黒髪山に西光密寺(大智院)を創建された時、末寺として建立されたと伝えられているが、阿忍僧正をもって中興開基としています。阿忍僧正は、東光寺を再建して本尊に薬師如来を安置しました。
九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場第六十三番札所 金剛勝山 蓮厳院

金剛勝山 蓮厳院(れんごんいん)は平安時代から続く古刹で、本堂と庫裡は藁葺き屋根。庫裡は県内では少なくなったクド造りとなっています。ご本尊阿弥陀如来2体と薬師如来1体は国の重要文化財で全国でも数少ない定朝様式の仏様として知られています。
九州三十三観音霊場

九州八十八ヶ所百八霊場 第六十一番札所 普明山 高野寺

大同元年(806年)弘法大師が密教を学ばれ、九州博多に帰朝され九州各地を行脚しておられた折、この土地が紀州の高野山に似ておることからこの地を肥前の高野山と定め、草の庵を結ばれたのがこの寺の始まりと伝えられています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第二十八番札所 円通山 常安寺

常安時の東南に岸岳という山があり、その北壁の「笹の手」と称ばれる岸壁の下に自然の洞窟「垂玉」がありますが、弘法大師が唐よりの帰途、霊夢により垂玉に導かれ止錫されたのが、常安禅寺のはじまりとされています。
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