
三奈木黒田家初代、黒田一成は知行領地の神社仏閣の建立に特に力を注ぎました。元和年間(1615~1623)、知行地の交通の中枢である三奈木の小高い茶臼山に建てたのが清岩禅寺です。三奈木黒田家の菩提寺であり、秋には山全体が紅葉で見事に色づきます。
『概略』
茶臼山 清岩禅寺
(御朱印)

創建
元和年間(1615年~1624年) 三奈木黒田家初代 黒田一成 開基
宗派
曹洞宗
ご本尊
寺院ご本尊
聖観世音菩薩(秘仏)
ご真言 おん あろりきゃ そわか
霊場ご本尊
不動明王坐像(開運厄除け不動尊)
(お御影)

ご真言
なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん
不動明王について
不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。
空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。
不動十九観とは
不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。
1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。
住所・連絡先
福岡県朝倉市三奈木15 TEL 0946-22-6750
(地図)
アクセス
【電車】
西鉄甘木線甘木駅よりタクシー約15分
【車】
大分自動車道・朝倉ICより約15分
駐車場あり 10台
ご詠歌

筑紫路の 清き流れに 岩うちて
忿怒のみすがた 法の声ごえ
秘仏 聖観世音菩薩
青岩禅寺はかつて三奈木の屋形原にあった清岩寺のご本尊とお堂を茶臼山の中腹に移築し、堂宇を整えたことから「茶臼山清岩寺」と号しました。
開基の黒田一成公は、元亀2年(1571年)、伊丹村(兵庫県)に加藤重徳の次男として生まれ、幼少のころは玉松と呼ばれていました。
9歳のとき、黒田孝高の養子となり、孝高の薫陶を受けて育ち、名も黒田一成(美作、三左衛門)となりました。
加藤重徳は、織田信長から離反した荒木村重の家臣で、羽柴秀吉の命により村重に翻意を促すため城へ向かった黒田孝高(官兵衛、号を如水)を逆に捕らえ城の土牢に幽閉されてしまった時に監視役を命じられた村重の重臣でした。
加藤重徳は、監視をしているうちに孝高の智才を慕うようになり、二人は心が通じ合うようになりました。
孝高は「そなたは私の命の恩人。もし私がこの城から脱出し、再び活躍するときがきたら、そなたの一子を立派な武士として育てたい」と、重徳と約束しました。
戦国時代、約束の反古や裏切りは日常茶飯事でしたが、孝高は約束を守り、重徳の次男を養子に迎え、我が子・長政と同様に養育しました。
そして後に、黒田の姓を与えます。
さらに豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは、黒田長政が徳川家康に味方するや、君命を受けて、石田三成派と死闘を繰り広げ、徳川方の勝利の一因をなします。
その軍功で、長政は筑前52万石の大封領を与えられました。
長政は一成に対し、三奈木を中心とした下座郡(旧甘木市の一部)1万5000石を与え、これが三奈木黒田家の始まりです。
そして、三奈木黒田家は、初代黒田一成から福岡藩の筆頭家老(後に大老)として、幕末まで約260余年間続きました。
前置きが長くなりましたが、清岩寺開山にあたり、黒田長政の厚い信頼を得ていた安国寺の天翁全補和尚は、弟子の松山用祝和尚を開山として選任しましたが、松山用祝和尚は開山祖師となることは恐れ多いということで辞退し、師の天翁全補和尚を開山祖師として仰ぎ、自らは中興開山として住職を務められたそうです。

さて山門から続く切り石で整えられた石段を上ると途中に霊場ご本尊が祀られている不動堂があります。

その尊像は鮮やかに彩色が施され、二童子を従えた像高72cmほどの石仏です。
紅蓮の炎を背負った溌剌さを感じさせるお姿です。

石段を上り詰めるとご本尊がお祀りされている本堂にたどり着きます。
ご本尊は30cmほどの聖観世音菩薩様で、厨子に納められ秘仏となられておられます。

境内には、どっしりとした構えの本堂の他、鐘楼、大師堂などがあります。

南無高祖承陽大師道元禅師南無太祖常済大師瑩山禅師
清岩寺は三奈木黒田家の菩提寺で、檀家は家臣の子孫が多いそうです。
三奈木黒田家は代々大老職を務めていた為、基本的には福岡城に詰めており、歴代当主は城下に葬られていました。
清岩寺にある墓所には初代一成の他、明治維新後に死去した当主の墓があります。
第三十三番札所「大原山 不動院」は九州八十八所百八霊場ですでにご紹介してございますので、ご参照ください
次回は九州三十六不動尊霊場 番外第二番札所「小台山 不動院」をお伝えしていきます。
願がわくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生とみなともに仏道を成ぜんことを 合掌


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