九州四十九院薬師霊場 第四十五番札所 竹林山 持光寺

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九州四十九院薬師霊場
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持光寺は天台宗総本山である比叡山延暦寺の末寺で、正平7年(1352年)、弁空上人によって建立、開基されました。安土桃山時代、豊臣秀吉が朝鮮侵攻のため名護屋城に布陣した際に戦勝祈願を行ったとされています。

肥前の国を治めていた龍造寺氏、鍋島氏代々の祈願寺として栄え、かつての境内には本堂や庫裡の他に阿弥陀堂や薬師堂、天満宮、祇園社などが建てられていました。神仏分離や戦禍などにより衰退し現在では本堂と庫裡を残すのみとなりましたが、境内入口にある石鳥居から神仏習合であった名残を感じられます。天明年間(1781〜89年)の絵図によると、かつては養父社(矢房社)2ヶ所、若宮八幡2ヶ所、阿弥陀堂、薬師堂、天満宮2ヶ所、祇園社、流鏑馬社などがありました。

境内に安置されている2体の石造の六地蔵尊のうち1体には「正平十五年」の文字が刻まれており、弁空上人が勧請したと伝えられています。ご本尊の千手千眼観世音菩薩は地域の人々から「末次観音」として親しまれ、年に1度、正月の17日に厳修する初観音護摩供の際にご開帳が行われます。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
 世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
 困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

竹林山 持光寺
通称 末次薬師 末次観音
(霊場御朱印)

ご住職不在の時もありますので、前日までにお電話しておくと安心です

創建

正平7年(1352年)弁空上人

宗派

天台宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来坐像

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 千手千眼観世音菩薩

ご真言 

おん ばさら だるま きりく

ご詠歌

肥前寺の
大悲の力 強ければ
心をまろく 慈悲を念ぜよ

ご詠歌

佐賀県佐賀市本庄町末次518 TEL 0952-24-6701
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR唐津線・長崎本線・佐賀駅よりタクシーで15分
または佐賀バスセンターより佐賀市営バス・広江線にて「末次」下車後、徒歩4分
【車の場合】
長崎大分線・長崎自動車道・佐賀大和ICより30分

駐車場あり(マイクロバス4台、普通車10台可)

神仏習合の祈り

佐賀市は楠の都水の都とも呼ばれています。
佐賀城築城の折、堀端に植えた楠が覆い隠すように繁茂したことに因んでいて、別名「葉隠城」とも呼ばれています。
また、背振山地を源とする数系の河川と、市内に縦横に流れる掘割に因んで「水の都」とも評されています。

そんな佐賀市の旧村落に持光寺はあります。

境内には露座する石造の地蔵尊2体があり、その内の1体は正平15年(1360年)弁空上人の勧請と伝わっています。
また持光寺には神仏習合が残り、多くのお宮が現存しています。

南無根本伝教大師福聚金剛

前述の「葉隠」といえば、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」という言葉が有名ですが、これは田代陣基が山本常朝の談話を綴った一節で『葉隠論語』または『鍋島論語』と言われています。

田代陣基(つらもと)は、江戸時代の武士で佐賀藩士です。 通称は又左衛門。
『葉隠』の筆記者。 口述者山本常朝、その師であった湛然和尚、石田一鼎などと共に「葉隠の四哲」の一人に数えられています。

そして山本常朝は、江戸時代の武士で佐賀藩士。武士道の書物『葉隠』の口述者です。

次回は九州四十九院薬師霊場 第四十六番 松巖山 青龍寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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