九州四十九院薬師霊場 第三十一番札所 吾平山 相良寺

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九州四十九院薬師霊場
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相良の観音さん」と親しまれている相良寺は、天台宗の総本山である比叡山延暦寺の末寺であり、宗祖伝教大師最澄上人によって弘仁5年(814年)に開かれました。平安時代の末期、平家方であった菊池隆直の兵が相良の地にこもった所を源家方の武将に攻められ、その際に相良寺は一度焼失してしまいましたが、その後、正平年間(1346年〜)に菊池武光によって再興されました。

第61代朱雀天皇のときに皇室の勅使がご来山になり、7日間本堂でこもられ祈願したところ皇子が無事お生まれになったという言い伝えから、子授け・安産に霊験があるといわれています。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

吾平山 相良寺
(霊場御朱印)

創建

弘仁五年(814年)伝教大師最澄

宗派

天台宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 千手観音菩薩坐像

ご真言
 
おん ばざら だるま きりく

住所・連絡先

熊本県山鹿市菊鹿町相良370 TEL 0968-48-9144
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR鹿児島本線・木葉駅よりタクシーで42分。
または木葉駅より九州産交バス・桜町バスターミナル行きにて「植木(熊本)」で下車し、山鹿温泉行きに乗り換え「山鹿温泉(八千代座入口)」下車後、タクシーで20分。
【車の場合】
九州自動車道・菊水ICを出て40分

駐車場あり(大型車30台、普通車50台可)

安産・子授けの相良観音

筑肥山地の連山、相良山麓に相良寺はあります。
わずかに門前町をつくる台地に二層の大仏殿造りの本堂が構えています。
寺伝によれば、伝教大師最澄が開基し、朱雀天皇の勅命により諸堂を建立したとあります。

平安末期、寺に籠る平家の残党を攻めた竹田の緒方三郎惟栄の兵火により焼失しましたが、正平のころ(1346年~)菊池武光が再興しました。
以来、菊池氏・隈部氏・細川氏の庇護を受けて栄えましたが、明治維新の神仏分離令による廃仏毀釈の運動が起き相良寺でも千手観音も他所に移されそうになった時、村人たちが必死になって防いだそうです。

ちなみに相良寺が九州四十九院薬師霊場の札所となっているのは、伝教大師が勧請開基する以前に、薬師如来像が祀ってあったそうです。

千手観音菩薩坐像

相良時の尊像は、丈六仏坐像です。
丈六仏とは、立像の場合、全長が一丈六尺、坐像の場合はその半分の八尺(約2.4m)が一応基準としていますが、総じて巨象を指す場合が多いです。
そして有名な唐招提寺の千手観音にも勝るとも劣らない風格のある尊像です。

南無根本伝教大師福聚金剛

木彫座像では日本最大といわれる千手観音や、市指定文化財の「菊池武光陣中矢除守本尊不動明王」、国指定特別天然記念物「アイラトビカズラ」など多くの見どころがあり、毎日多くの参拝者で賑わいを見せています。

第三十二番札所 護國山 金剛乗寺は九州八十八所百八霊場に参拝済みのためすでにご紹介は公開いたしておりますのでご参照ください。

次回は九州四十九院薬師霊場 第三十三番 長寿山 龍泉寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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