九州四十九院薬師霊場 第三十九番札所 国祐山 妙法院

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九州四十九院薬師霊場
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妙法院の創建は明治36年(1880年)頃、初代法真和尚が比叡山での修行の後、長崎に庵を建てたのが始まりです。
昭和7年(1932年)頃、伊万里市界隈に疫病が流行したとき、その惨状を憂いた当時の町長が十二代片桐法師の験力を頼って要請し、東山代町に別院道場を設けました。

その後、長崎市は悲惨な原爆により壊滅してしまいます。

長崎の堂宇も例外ではなく焼失したため、伊万里の別院道場に法灯を再興して、妙法院と号しました。
その際に多くの宝物や古文書を焼失してしまったのが惜しまれます。

そして現在、妙法院は仏心を根底とする精神修練の道場として、また、九州四十九院薬師霊場の発祥の地として発展し、広く社会に貢献されています。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

国祐山 妙法院
(霊場御朱印)

創建

明治36年(1880年)頃 法真和尚

宗派

金峯山修験本宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来坐像 薬師堂

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊

金剛蔵王大権現

ご真言 

おん ばきりゅ そわか
おん ばさらくしゃ あらんじゃ うん そわか

役行者

おん ぎゃくぎゃく えんのうばそく あらんきゃ そわか

ご詠歌

ありがたや
妙なる法の 国祐山
あまねく照らす 南無医王殿

住所・連絡先

佐賀県伊万里市東山代町長浜99-3 TEL 0955-20-9329
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR佐世保線・伊万里駅よりタクシーで8分
または松浦鉄道・川東駅よりタクシーで4分
【車の場合】
武雄佐世保道路・西九州自動車道の国道202号/国道35号方面を出て23分

駐車場あり(大型車3台、普通車30台可)

修験の行

妙法院の宗派は、役小角役行者)を開祖とする金峯山修験本宗です。もとは天台宗に属していましたが、昭和23年(1948年)に独立し、同27年に宗名を金峯山修験本宗と改めました。近年設けられた医王殿には、薬師如来・白衣観音を安置。境内の一隅にある水子観音堂には水子霊園を開設して、無明の糸に操られた諸霊の供養が行われています。

金峯山修験本宗は既成の教団と異なるのは、山特有のひえびえとして冷たい空気に触れて修行、精神統一を図るために呪文を唱えますが、そこで行者は即身成仏するのではなく、里に降り、修して験を発揮します。
そのために行者は、死を覚悟の捨て身の行を修して再生します。
これを「擬死再生」というそうです。
この擬死と再生を繰り返すことにより、行者の霊験力が養われるそうです。

大慈大悲

妙法院は戦後、成養尼は12歳で母親と死別、その後得度受戒して35歳で再び法門に帰依しました。
その時に父親が突然逝去し、成養尼は途方にくれましたが、気丈にも父の意思を継ぎ、10年間に及び身を浄土に委ねて荒修行しました。

当初は廃屋同然の堂宇でしたが、奥義ともいえる本草学を修練して、ついに霊示を受け、薬湯を開発して再建資金に充てたそうです。
そのことにより檀信徒に負担をかけることなく、次々と堂宇を再建しました。

さらに平成に入り篤い仏心が「九州四十九院薬師霊場」の発祥地という途方もない夢までも実現されました。

次回は九州四十九院薬師霊場 第四十番 天鼓山 来雲寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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