
雁回山 長寿寺は天台宗に属する比叡山延暦寺の末寺で、木原不動尊の通称で親しまれています。ご本尊は天台宗開祖・最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる不動明王立像で、成田山新勝寺(成田不動尊)、瀧泉寺(目黒不動尊)と並ぶ日本三大不動尊の一つです。
『概略』
第十九番札所 雁回(がんかい)山 長寿寺
(御朱印)

別称
木原不動尊
創建
延暦(782~806)年間 伝教大師最澄
宗派
天台宗
ご本尊
寺院・霊場ご本尊
不動明王立像(水引不動尊・秘仏)
本尊の不動明王立像は「水引不動」と呼び習わされています。
かつて、大旱魃のため山下の田が干上がり、里人が難渋していた。里人が本尊の不動明王に祈ると、その後、不思議なことに田の中に水が引き上げられており、不動尊の足には泥水の痕が付いていたという伝説によるものです。
秘仏のため普段は厨子の中に安置されていますが、毎月28日の縁日には御開扉されます。
ご真言
なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん(天台系・修験道系)
不動明王について
不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。
空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。
不動十九観とは
不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。
1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。
住所・連絡先
熊本県熊本市南区富合町木原2040 TEL 095-357-4515
(地図)
アクセス
【電車】
JR鹿児島本線宇土駅から熊本バス城南行き約10分「木原不動尊前」下車
【車】
九州自動車道松橋ICまたは御船ICから約15分
駐車場有 境内約50台、大祭時にはその他100台
ご詠歌

永き世に 業魔を降す 破邪の剣
木原不動の功徳あらたか
日本三大不動尊

雁回山 長寿寺は、比叡山延暦寺の末寺で、木原不動尊の通称で親しまれています。
千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動尊)、東京都目黒区の瀧泉寺(目黒不動尊)と並ぶ日本三大不動尊の1つです。
毎年2月28日の大祭には、修験者が素足でおき火の上を渡る「火渡り」や、煮えたぎった釜の熱湯の中に座る「湯立て」の荒行が行われ、数万人の参拝客でにぎわいます。
その歴史は、延暦(782~806)年中、伝教大師最澄の開基と伝えられています。往時は、西国第一の談義所と言われる寺勢を誇った。 本尊は最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる不動明王立像。像の胎内には最澄真筆の法華経寿量品が奉蔵されているという。
仁平あるいは保元のころ、九州に下向し肥後に入った鎮西八郎為朝こと源為朝が木原山の要害に城館を築き、鬼門の方角に当るこの寺の不動尊を深く信仰したと伝わっています。
その源為朝が、寺の後背地にある山(木原山)に城館を設け、自慢の弓で山上を飛ぶ雁を射落としていたので、雁が山を迂回して飛ぶようになったとの伝説により雁回山(がんかいざん)とも呼ばれています。
寺の山号は雁回山(がんかいざん)も、その伝説に基づく木原山の別称に因んだものです。
文治年間には、源頼朝が堂宇を再興、寺領水田18町歩寺床8畝歩を寄進し祈願所としました。
天正に入り、キリシタンであった小西行長が肥後半国を領すると寺領没収の憂き目に遭いますが、関ヶ原の戦いで行長が敗れた後は、行長の所領を引き継いだ加藤清正によって再興されました。
境内の広さは約6,600平方mに及びます。
境内にある駐車場に車を止め、一旦戻るようにして「放牛地蔵」にお参りをします。

放牛地蔵は、肥後国の僧・放牛が享保7年(1722年)から17年かけて作った石仏(地蔵、阿弥陀、観音、釈迦、薬師、混合仏を含む)百余体で、放牛という名前と他力という言葉と何体目かを銘してあります。
長寿寺に安置されているのは64体目で享保14年9月と彫られています。

そして石段を登り、丈九尺余の仁王像二体が奉安された仁王門をくぐります。

仁王門をくぐるとすぐ右手に鐘楼があり、

その後ろに二体の観世音菩薩像(立像・坐像)が安置された観音堂にお参りをします。

そして、歩を少しだけ進めたところに、伝教大師最澄をお祀りした大師堂。

さらにご本尊「水引不動」が祀られている本堂へと参拝を進めていきます。

本堂内にて納経を済ませ、最後に本堂右わきにある肥後の三筆ともいわれている、豪潮律師によって民衆に信仰を広めると共に、御霊供養・飢饉救済を目的として大小合わせて約84000の仏塔の内のひとつの宝篋印塔(ほうきょういんとう)を拝観しました。
南無根本伝教大師福聚金剛
長寿寺には奥の院があり、境内から車で5分ほど離れた木原山(雁回山)山頂にあり、かつて本堂の不動明王を厚く信仰したという源為朝が築いた城跡に建立されたと伝えられています。
ご本尊・阿弥陀如来をはじめ、観世音菩薩・勢至菩薩・不動明王・毘沙門天の五体がお祀りされ、外には石造りの不動明王も鎮座しています。
次回は九州三十六不動尊霊場 第二十番札所「大梁山 大慈寺」をお伝えしていきます。
願がわくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生とみなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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