九州四十九院薬師霊場 第十八番札所 蓬莱山 今山大師寺

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九州四十九院薬師霊場
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1839年蔓延した疫病を封じるために延岡城下の大師信者たちが高野山金剛峰寺より弘法大師像を勧請して大師庵を建立したのが今山大師寺の始まりとされています。1889年に八十八ヵ所を創設、1918年には円帰哲禅和尚が開基して大師堂が建立されました。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

蓬莱山 今山大師寺
(霊場御朱印)

創建

天保10年(1839年)大師庵建立
大正7年(1918年)大師堂建立 円帰哲禅和尚

宗派

単立

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 弘法大師

ご宝号 

南無大師遍照金剛

ご詠歌

蓬萊の
薬師を今に 訪ぬれば
大師のみもと 利益あらたに

住所・連絡先

宮崎県延岡市山下町2-3998 TEL 0982-32-5290
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR日豊本線・延岡駅より徒歩13分。
【車の場合】
JR日豊本線・延岡駅より4分。

駐車場あり(大型車3台、普通車10台可)

平安仏教の一大道場

天保10年(1839年)、延岡で蔓延した疫病を封じるために延岡城下の大師信者たちが高野山金剛峰寺まで行き、弘法大師像を勧請して大師庵を建立したのが今山大師寺の始まりとされています。のち明治22年(1889年)に今山にて八十八ヵ所を創設、大正7年(1918年)には円帰哲禅和尚が開基して大師堂が建立されました。

延岡は、欽明天皇の時代(539年~72年)土持氏の県荘園が拓けたところで、長く土持氏の支配下にありましたが、天正6年(1578年)豊後の大友宗麟に攻められて滅亡してしまいました。

昔は県(あがた)と称していましたが、明暦2年(1656年)有馬氏の代に延岡と改められました。

さて、四国遍路が庶民にまで広がり、盛んになったのは、江戸時代に入ってからのようです。
本来は歩く遍路(修行)目的でした。

それは日常の俗世界から離脱して、聖なる世界に身を置き、発心・修行・菩提・涅槃の地をめぐり即身成仏することを目的としています。
即身成仏とは、極楽往生することではなく、即座に悟ることを意味しています。

この弘法大師の「即身成仏」に対して、伝教大師は「法華一乗」を説き、これらの教えを「平安仏教」と呼んでいます。

その「平安仏教」の特徴としては、それまでの貴族仏教を民衆にも門戸を開いたことにあります。

その今山に、昭和32年(1957年)に鋳造建立された弘法大師像は日本一の高さを誇り、市民から「おだいっさん」と呼ばれ親しまれています。
そして大師庵を建立したのが今山大師寺の始まりだそうです。

まさに平安仏教の道場です。

山頂に弘法大師を戴き、麓には伝教大師の教えを伝える精舎(蓬莱山 善正寺)を構えています。

山内の見どころとしては、大師本堂や、山門上には鐘つき堂があり、また花塚、筆塚、髪塚が散在してそれぞれ供養が行われます。

南無大師遍照金剛

弘法大師が亡くなられた命日にあたる旧暦3月21日を供養と感謝の日として、毎年4月中旬に「今山大師祭り」が開催されます。お祭りは3日間続き、現在は毎年4月の第三金・土・日に行われていて、県内外から参拝者が集まり大きな賑わいを見せています。
この時は延岡市内を挙げて祭り一色に染まるそうです。

次回は九州四十九院薬師霊場 第二十番 福聚山 極楽寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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