九州四十九院薬師霊場 第四十四番札所 恵日山 宝琳院

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九州四十九院薬師霊場
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詳しい創建は明らかになっていませんが、寺伝によると和銅4年(711年)行基菩薩の建立とされ、境内には行基菩薩開山の墓石が残されています。その後、平安末期、藤原季喜氏の実兄・覚阿禅師によって再興されたといわれています。季喜氏の養子である季家公は、源氏に味方して西下した平氏を討った功績などで後鎌倉の御家人になり、このことからこの地の地頭となって龍造寺氏を名乗るようになりました。宝琳院はそのころから龍造寺家の祈祷寺として、龍造寺家と因縁浅からぬ寺院であったと伝えられています。

そして明応年間(1492〜1501年)、龍造寺康家公は宝琳院と龍造寺家の縁が深いことを慮り、三男の澄覚を比叡山延暦寺へ修行に行かせ、宝琳院の住職としました。山号も「宝琳坊」から「恵日山龍造寺宝琳院」と改めて再興を計ります。それからの宝琳院の歴代住職は、龍造寺家が衰退する江戸時代初期まで龍造寺家一門が務めました。

宝琳院は龍造寺家の滅亡と共に衰退し、明治7年(1874年)の暴風で本堂その他の建物が全倒壊し廃寺と化しました。しかし、かねてより再興の念願に燃えていた須古水堂安福寺の法印嘉瀬慶範師が明治27年(1894年)に本堂を仮設し、昭和4年(1929年)からは慶範師の子息・嘉瀬範護師が本格的に再建に取り掛かります。歴代の霊廟所及び石柱の山門を整備し、昭和8年(1933年)に本堂の新築が完工、4年後には庫裡が完工しました。嘉瀬慶範・範護二代にわたって水堂安福寺と宝琳院を兼務し精進の極み、遂に完成にこぎつけ現在の宝琳院の姿となりました。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
 世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
 困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

恵日山 宝琳院
(霊場御朱印)

第四十五番札所・持光寺にて受付

創建

本文参照

宗派

天台宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来 本堂

*ただし堂内には入れません

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 聖観世音菩薩(秘仏)

ご真言 

おん あろりきゃ そわか

住所・連絡先

佐賀県佐賀市鬼丸町12-30 TEL 0952-84-3033
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR唐津線・長崎本線・佐賀駅よりタクシーで14分
【車の場合】
長崎大分線・長崎自動車道・佐賀大和ICを出て25分

駐車場あり(マイクロバス10台、普通車30台可)

宝琳院と龍造寺家

宝琳院は現県庁所在地、鬼丸町南部にあります。
寺伝によれば、行基菩薩再興されたにより、当初は法相宗の寺院でした。

ご本尊は、聖観音菩薩秘仏)で、龍造寺氏の本拠地に近く深く繋がりを持っていたため、その龍造寺氏の祈祷所ならびに菩提所となりました。

龍造寺氏は源氏に味方して西下した平氏を討った功績などで後鎌倉の御家人になり、このことからこの地の地頭となって龍造寺氏を名乗るようになりました。
そして次第に勢力を拡充して、隆信の代には五洲二島の太守となり、薩摩の島津氏、豊後の大友氏と並び九州の三雄と称されるまでになりました。

その隆信が亡くなると、家臣である鍋島氏にその実権は移りました。

宝琳院境内には樹木が茂り、天満宮もあります。また他には護摩堂も建立されています。

鍋島氏は龍造寺氏の村中城を改築し城下を整備して佐賀三十五万石の城下町として栄えました。

南無根本伝教大師福聚金剛

佐賀の歴史を語るには龍造寺家の推移なくしては語れず、龍造寺家の推移はそのまま宝琳院の歴史です。この由緒ある宝琳院も時代の流れとともに、次第に人々の忘却のかなたに流されていくことはとても残念なことです。佐賀の根源を探り往時を振り返ることも、また意義深いことでしょう。

次回は九州四十九院薬師霊場 第四十五番 竹林山 持光寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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