九州四十九院薬師霊場 第十二番札所 清寧山 観海寺

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九州四十九院薬師霊場
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観海寺の歴史は千有余年続いたとされ、その間に何度も兵火に罹り、明治維新の後には廃寺となりました。現在の観海寺は昭和13年(1938年)に高階瓏仙禅師が再興開山し、上田寧によって中興開基されたもので、禅宗系曹洞宗となっています。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

清寧山 観海寺
(霊場御朱印)

創建

養老2年(718年) 仁聞菩薩

再興開山 昭和13年(1938年) 高階瓏仙 禅師
中興開基 阪急電鉄 前社長 上田 寧

仁聞菩薩

仁聞菩薩は神母すなわち宇佐八幡神の化身ともいわれる僧です。その仁聞菩薩が法華経八巻二十八品になぞらえれ、国東半島に二十八カ寺を建立したのが六郷満山です。

宗派

曹洞宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来坐像 薬師堂

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 釈迦牟尼仏

ご真言 

のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

ご詠歌

玉の緒よ
たへなばたへね ながらへば
しのぶることの よわりもぞする

式子内親王(後述)は中世を代表する女流歌人の一人で、小倉百人一首の第89番である式子内親王が詠んだ短歌が、観海寺の御詠歌となっています。

住所・連絡先

大分県中津市耶馬渓町中畑1419 TEL 0979-54-3260
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR日豊本線・別府駅よりタクシーで10分。
または別府駅より亀の井バスで「観海寺入口」下車後すぐ。
【車の場合】
東九州自動車道・長崎大分線・別府ICより8分。

駐車場 有(普通車8台可)

別府・観海寺温泉の一角に

温泉地として有名で、源泉数と湧出量は、日本一として知られ、その源泉数は約2600本と日本国内の源泉数の約9パーセントを占め、それらの合計湧出量は102 (kl/分)に達する別府の地名は、宇佐八幡宮領の付属地の「石垣別府」と呼ばれていたことに由来しています。
その別府温泉は総称で、別府・浜脇・堀田・亀川・柴石・鉄輪・明礬・観海時を称して「別府八湯」といいます。

観海寺温泉は市街を見下ろす高台に位置し、規模は小さいものの、静かな環境に旅館が軒を連ねています。
その一角に「薬師湯」の堂宇があり、背後の段丘に観海寺が佇んでいます。

養老二年(718年)に仁聞菩薩が当地に温泉を開き、薬師如来を刻して安置したのが始まりと言われています。
温泉の名も寺号の「観海寺」に因んでいます。

観海寺の永い歴史の中で再三兵火にあい、明治維新後には一旦廃寺となりました。

時は下り、昭和13年に高階瓏仙禅師が再興開山しました。
現在では階には慈光堂が建立され、それは有縁無縁の霊を祀る位牌堂で、各家の籠居に薬師仏の小像を安置する珍しい構えとなっています。
昔から治病の信仰に篤く、境内には先の大戦に散った特攻隊の追悼碑もあり、現在でも香華が絶えません。

薬師湯の由来

後白河法皇が病気に臥せられたとき、ある夜の夢に「豊後国(今の大分県)・速見の里、鶴見山の東南に温泉煙の立ち昇る所あり、これに浴せよ」というお告げにより、ご入浴に下向したそうです。または湯を都に取り寄せご入浴なさると平癒したと伝わっています。法王の第三皇女の式子内親王もまた薬師湯を嗜み浴し、生涯をこの地で過ごされたそうです。

南無釈迦牟尼仏南無高祖承陽大師道元禅師南無太祖常済大師瑩山禅師

薬師堂には石造薬師如来をお祀りし、台座の下からは湯が沸き出ているそうです。
泉質は単純泉で飲湯にも適していて、湯治はおよそ万病に効くと言われています。

次回は九州四十九院薬師霊場 第十三番 本宮山 大山寺をお伝えしてまいります。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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