九州四十九院薬師霊場 第二十九番札所 曹源山 法泉寺

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九州四十九院薬師霊場
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法泉寺は、永仁元年(1293年)、川尻大慈寺第五世・寒巌義尹禅師(順徳天皇第三皇子)の高弟・仁叟紹熙大和尚によって開かれました。宇土城主・菊池隆俊公の嫡男である隆光公が重病を患ったとき、仁叟禅師が十一面観世音菩薩に祈願したところたちまち病気が快復し、それに感謝した隆俊公がそのお礼として七堂伽藍の整った寺を轟山麓に建立、開山に仁叟禅師を招き、以後、菊池家の祈願所となりました。

また、宇土地方が大干ばつに見舞われた際、仁叟禅師が金毘羅大権現を勧請し深く禅定に入ると境内から懇々と水が湧き出し、近郷の田畑を潤したそうです。その湧水が、今もなお懇々と湧き出している日本名水百選の一つ、轟水源であります。その因縁から、金毘羅大権現を鎮守として祀られています。

終戦50年の平成7年、古くなっていた鐘楼堂を改修し、戦争の為に供出してなくなっていた梵鐘を50年ぶりに「平和祈念梵鐘」として造りました。午前6時と午後6時に世界中で戦火の犠牲になられた方々のご冥福と恒久平和を願って鳴り響いています。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

曹源山 法泉寺
(霊場御朱印)

創建

永仁元年(1293年) 仁叟紹熙禅師

宗派

曹洞宗

ご本尊

霊場御本尊 薬師如来(秘仏)

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊 聖観世音菩薩

ご真言 

おん あろりきゃ そわか

ご詠歌

とどろきの
法の泉に 湧き出ずる
日月照らす 瑠璃の御心

住所・連絡先

熊本県宇土市神馬町708 TEL 0964-22-1209
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR鹿児島本線・宇土駅よりタクシーで8分
【車の場合】
九州縦貫自動車道・松橋ICを出て15分

駐車場あり(大型車5台、普通車30台可)

通称 轟き薬師

法泉寺は前述の轟水源一帯が境内でした。
鎮守に金毘羅大権現をお祀りしています。

開山時は東西十町、南北八町に七堂伽藍を構えていましたが、天正十六年(1588年)小西行長が入封し城山に宇土城を新築するにあたり、豪族たちに資材・人夫の調達を命じましたが、天草五人衆が拒否したため内乱が起こりました。
法泉寺もこの内乱の兵火により焼失してしまいましたが、加藤清正により一時は再建されました。

その後、元和三年(1617年)の大洪水により轟山が崩落し、伽藍は流出してしまいました。

そして再度、寛永十九年(1642年)加藤忠広により堂宇が再建されましたが、またしても正徳元年(1712年)大洪水により轟山は崩落してしまいました。

時は降り、細川氏の代に、移転し現在に至っています。

南無高祖承陽大師道元禅師南無太祖常済大師瑩山禅師

門柱に「心の美術館」と掲げてあります。
天井画や版画・焼き物などの美術品を通じて人生に疲れた人達に、生きることの大切さを語り掛けたいという現住職のお考えです。

次札所の第三十番 阿蘇山 西巌殿寺は九州西国霊場第十三番札所となっていますので、すでに公開してあります。
ご参照ください。

次回は九州四十九院薬師霊場 第三十一番札所 吾平山 相良寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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