
天正9年(1581年)、南国の覇者・島津義久の軍勢を迎え撃つために大友宗麟が日向国へ出陣した際、キリスト教を奉信する兵士のなかには、所在の社寺を破壊する者もあったそうです。當陽寺もそうした者たちに焼討ちされて、文書などを焼失してしまいました。そのために創建は定かではありませんが、寛文年間(1661〜73年)に河野九兵衛が再建して、丹生中村の庄屋・池見家の門を移しました。当時は、臼杵月桂寺の末に属していたそうです。
境内には丁寧に整備された美しい日本庭園があり、本堂には釈迦牟尼仏を安置、位牌堂に阿弥陀如来が祀られています。
霊場本尊・薬師如来について
薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。
左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。
医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。
病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。
薬師の十二大願
1.光明普照
自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す
ご真言
おん ころころせんだり まとうぎ そわか
『概略』
高雄山 當陽(とうよう)寺
(霊場御朱印)

創建
創建時期は定かではありません。
再建 寛文年間(1661〜73年) 河野九兵衛
宗派
臨済宗妙心寺派
ご本尊
霊場御本尊 薬師如来坐像
ご真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
寺院御本尊 釈迦牟尼仏
ご真言
のうまく さんまんだ ぼだ なん ばく
住所・連絡先
大分県大分市市尾192 TEL 097-592-9440
(地図)
アクセス
【電車・バスの場合】
JR日豊本線・坂ノ市駅よりタクシーで6分
【車の場合】
東九州自動車道・大分宮河内ICを出て12分
駐車場あり(普通車20台可)
大友氏、島津氏の戦火の中
戦国時代の南国の覇者、島津義久を迎え撃つ、九州北部の大大名の大友氏は日向の国に出陣しました。
大友氏の兵の中にはキリスト教を信奉するものも多くいました。
そんな兵士の中にはその行軍中において、社寺を破壊するものもいました。
當陽寺もそうした輩の焼き討ちに会い、文書などが焼失してしましました。
そのため創建等は定かではありませんが、寛文年間に河野久兵衛が再建し、丹生中村の庄屋・池見家の門を移しました。
再建当時は臼杵月桂寺の末寺だったそうです。
河野久兵衛は、伊予河野氏の一族でした。
河野(かわの)一族
河野氏は河野郷(旧・北条市河野地区付近)を出自とします。
一時的に河野家の兵力は、瀬戸内最大規模の水軍となり、河野水軍とも呼ばれました。
当初は国衙の役人として活動していたと考えられていますが、治承・寿永の乱(源平合戦)で源氏に味方したことで鎌倉幕府の御家人となり西国の武将でありながら大きな力をつけました。
後鳥羽上皇が鎌倉幕府の執権である北条義時に対して起こした承久の乱以降、一族の大半が反幕府方の後鳥羽上皇に味方して処罰を受けたため衰退していた河野一族は、通久の孫にあたる通有が蒙古襲来の功により旧領を回復すると同時に、肥前・肥後にまで勢力を拡充しました。
ちなみに時宗の開祖、一遍上人も出自は河野氏で久兵衛もその流れを汲んでいるのかもしれません。
そのため故か當陽寺の土塀には河野氏の家紋・隅切折敷縮三文字が飾られています。
臼杵月桂寺
本寺の月桂寺は、天正年間に稲葉良通が開基し、宗獄禅師を開山都とし、美濃に一宇を建立したのが、創まりです。稲葉氏は伊予の豪族・河野氏の一族とするのが定説となっています。
その良通が臼杵城主となり移転しました。
月桂寺は、稲葉氏の菩提寺となっています。
南無釈迦如来
本堂前には、とても良く手入れをされた日本庭園があり、清々しい空気感が漂っています。
次回は九州四十九院薬師霊場 第十八番 蓬莱山 今山大師寺をお伝えしてまいります。
第十七番 有智山 蓮城寺は他の霊場にて公開してありますので、ご参照ください。


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