
祇園寺は、天台宗比叡山延暦寺を本山と仰ぐ寺院です。承応元年(1652年)平戸藩主・松浦鎮信の発願で針尾瀬戸を望む現在地に開山し、一圓岳老法印が開基したと伝えられています。
もとは曹洞宗のお寺でしたが、鎮信公が平戸藩に初めて天台宗寺院の樹光寺を開創した折、祇園寺の前身を末寺とし、天台宗としたという平戸藩の史料が残されています。また、鎮信公が建立した趣旨は、藩内鎮護・安泰の祈願寺とあわせ、徳川秀忠公の霊を弔う香華所という記録もあります。明治維新の神仏分離令までは祇園社(戸御崎神社)の別当寺で、神仏習合の寺社であったことをうかがい知る史料・伝統風習が今も息吹を伝えています。
H2霊場本尊・薬師如来について
薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。
左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。
医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。
病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。
薬師の十二大願
1.光明普照
自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す
ご真言
おん ころころせんだり まとうぎ そわか
『概略』
針尾山 祇園寺
(霊場御朱印)

H3創建
承応元年(1652年)平戸藩主 松浦鎮信 開基
一圓岳老法印 開山
宗派
天台宗
ご本尊
霊場御本尊 薬師如来 薬師堂
ご真言
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
寺院御本尊 如意輪観世音菩薩
ご真言
おん ばらだ はんどめぃ うん
ご詠歌
西海路の
現世を祈る み佛は
瀬戸にはやりし 姿なりけり
住所・連絡先
長崎県佐世保市針尾中町870 TEL 0956-58-2022
(地図)
アクセス
【電車・バスの場合】
大村線・ハウステンボス駅、または佐世保線早岐駅よりタクシーで20分
【車の場合】
西九州自動車道・佐世保大塔ICを出て15分
または西彼杵道路・西海パールライン有料道路・針尾ICを出て5分
針尾無線塔すぐ近く
駐車場あり(大型車5〜6台、普通車50台可)
西海における天台寺院の重鎮
祇園寺は後述の針尾無線塔と対峙するように建っています。
開山時の本尊は薬師如来でしたが、その後阿弥陀如来になり、現在は如意輪観世音菩薩を祀るという歴史的な変遷があります。
しかし、大正12年12月17日夜、番僧の失火で全焼し、江戸期の建造物は山門のみで、薬師堂を除く、本堂・位牌堂・永代供養塔・会館・鐘楼門・庫裡は昭和56年以後の建立です。
開山当時の本尊薬師如来は、現在も園宮に祀り、園寺の薬師堂は前立本尊です。
この薬師堂の楽書き祈願は堂内の白壁に願い事を書いて祈る信仰で、薬のクサカンムリを取ると、楽になるといわれる信仰だそうです。
薬師堂に「大悲閣」と達筆な篆書風で書いた扁額が掛かっています。
扁額は明治の中頃、信陽出身の蘭医高島又玄の寄進です。
又玄は長崎で蘭医の修業をしての帰りだったということで、寺の境内に寓居を設け、住民の求めに応じて診療もしていたそうです。
ところが、無頼の釣り好きで、患者が診療に来ても、潮時には「患者は待てども潮は待たず」の名セリフを残し、針尾瀬戸での釣りに熱中したと、語り草になっています。
蘭医又玄は、生きる者の「悲」即ち、苦を除くことの大切さを、この扁額に託しているそうです。
住職は
「これが寺の将来像を諭していると受け止めています。そこで、蘭医の又玄とお薬師さまとの縁結びのため薬師堂に揚げ、医療と仏教の「出会いの場」になればと念じています」
と仰っています。
南無根本伝教大師福聚金剛
針尾瀬戸望む台地に大正12年(1923年)旧海軍が5年の歳月を費やして建設した無線塔3基がそびえ立っています。
1塔の高さは137m、周囲33m、1辺が300mの正三角形の塔です。
この無線塔より「ニイタカヤマノボレ」の暗号文が洋上の日本の連合艦隊に打電され、太平洋戦争が始まりました。
次回は九州四十九院薬師霊場 第三十六番 城持山 薬王寺をお伝えしてまいります。
願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌


コメント