
圓壽寺は、岩屋寺石仏から背後の丘を切り開いて作った道路を北に約150メートル登ったところ、上野ヶ丘の東端、丘陵上の見晴らしの良い場所にあります。770年頃 日羅上人が開山し、豊後国府の鎮護寺として建てられ、当時は岩屋寺と呼ばれていました。
『概略』
総社山 圓壽寺
(御朱印)

創建
宝亀元年(770年)頃 日羅上人
宗派
天台宗
ご本尊
不動明王立像(願掛け不動尊)
(お御影)

ご真言
なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん(天台系・修験道系)
不動明王について
不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。
空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。
不動十九観とは
1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。
住所・連絡先
大分県大分市横上野丘西23-19 TEL 097-543-9430
(地図)
アクセス
【バス】
JR大分駅府内中央口(北口)③のりば「上野」行約10分、「上野」下車 徒歩約5分
【車】
JR大分駅から 約10分
【電車】
JR古国府駅から徒歩 約10分
JR大分駅上野の森口(南口)から 約25分
駐車場 有 40台
ご詠歌
さまざまの ねがいをここに おさめらく
いしのほとけも いますとのでら
もとは大友家の菩提寺・祈願所

圓壽寺は、岩屋寺石仏から背後の丘を切り開いて作った道路を北に約150メートル登ったところ、上野ヶ丘の東端、丘陵上の見晴らしの良い場所にあります。
宝亀元年(770年)頃 日羅上人が開山し、豊後国府の鎮護寺として建てられ、当時は岩屋寺と呼ばれていました。

その後荒廃してしまいますが、大友氏の崇敬あつく、五代貞親(さだちか)が嘉元3年(1305年)、比叡山より道勇和尚を招いて中興の祖とするとともに、総社山の山号がつけられたと伝わります。
同時に大友家の菩提寺・祈願所となりました。
さらに、六代貞宗(さだむね)が徳治2年(1307年)に古国府から現在地に移し、総社山圓壽寺と名を改めました。

圓壽寺のご本尊は、願掛け不動と呼ばれ親しまれている不動明王で、十一面観世音菩薩や阿弥陀如来とともに須弥壇に祀られています。
その尊像は像高60センチメートルと小ぶりながら、表情にはこの世の不条理を冷静に見抜かれているような眼差しが感じられます。

境内には釘を一本も使っていないことで有名な府内城主日根野吉明公霊廟があります。
また、寺宝に県指定有形文化財の柿本人麻呂図や六曲屏風、市指有形文化財の円寿寺相伝文書、大般若経600巻などがあります。本尊は不動明王で、他に観音堂、愛宕(あたご)社、鐘堂、日根野吉明公の墓、総社大明神の扁額、女形神像などがあります。
さて、圓壽寺の周辺には、岩壁などに刻まれた摩崖仏が数多く残されています。
その一つの岩屋寺石仏には17体の摩崖仏が鎮座されています。
全体としては、脆い凝灰岩に刻されているため風化が進んでいますが、その中の十一面観音菩薩は比較的状態もよく、摩崖仏としては、全国唯一の仏さまです。
岩屋寺石仏から徒歩10分程のところには、元町石仏群があり、5メートルを超える、岩薬師が鎮座されています。その造りは螺髪のひとつひとつまで丁寧に仕上げられています。
南無根本伝教大師福聚金剛

霊廟の日根野吉明(ひねの よしあきら)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名で、府内藩主に着任した当時、藩内の農地はたびたび干害や水害があり、府内藩政では城下内外の工事や寺社の修理、農業水路の開削事業などを積極的に行いました。
このことにより、水田の生産量は一気に上がりました。
農家の人々は、命日である4月26日には霊廟を訪れ、お米を奉納する習わしが今でも続いています。
次回は九州三十六不動尊霊場 第十番札所「金龍山 臨済寺」をお伝えしていきます。
願がわくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生とみなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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