九州四十九院薬師霊場 第十四番札所 宝劒山 神護寺

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九州四十九院薬師霊場
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神護寺のはじまりは大永7年(1527年)、僧・中栄によって創建され、山岳信仰に篤い豊後地方で修験者の道場として栄えていました。天保3年(1832年)に四国八十八ヶ所の本尊を勧請し、高城観音の分霊を迎えるなどして勢いが盛んでした。

九州四十九院薬師巡礼より

霊場本尊・薬師如来について

薬師如来は、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。
日光菩薩、月光菩薩の脇士と十二神将が一体となって、仏の心「慈悲の心」を表しています。即ち、私たちの病気の苦しみを除いて、安楽を与えてくださる現世利益の「ほとけさま」です。
薬師如来が説法している時の手の相(印相)、右手は施無畏印で、わたしたちの色々と恐れおじける心を取り除き、安心させてくれるサインです。
痛いところへすぐ右手が飛びます。これが「手当て」です。手の指には仏の世界でいう仏の名があり、薬指が薬師如来です。施無畏印で薬指を少し前に出すことで薬師如来を象徴しています。

左手は与願印で、平安時代以後の薬師如来は薬壷を持っておられます。
くすりつぼは、人の寿命を延ばす意味をもつといいます。現代人は薬によって病気が治ると頼りがちでありますが、病気を治すのは、私たちの体内にある自然治癒力が最も肝心です。

医療や薬品は、その自然治癒力を高め、援助する役割を持つのであります。「病は気から」とも言います。この治すという「気力」をバックアップしてくれるのが、お薬師様です。
私たちが病気になったとき、その病気をおそれず、医薬の効果を高め、強く生きる力を与えてくださいます。その上に、「病気の善用」も諭していただけるのです。
お薬師信仰を深めることは、健康で、病気を苦にすることなく、安楽で、幸せな日暮らしが期待できるのです。

病の苦しみを救う、寿命を延ばす、そして貧困からの救済等々十二の大願を成就して如来となられた仏様です。
尊像は病気平癒や延命を願って作られたものが多いため、左手に万病に効く薬が入っている薬壺(やっこ)をお持ちになっておられます。
また薬師像は三尊像としてお祀りされることも多く、その際は脇侍に日光・月光菩薩の二尊が従われることが多く、さらに眷属として十二神将も従えることもあります。

薬師の十二大願

1.光明普照
 自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く
2.随意成弁
 仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
3.施無尽物
 仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
4.安立大乗 
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
5.具戒清浄
 戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける
6.諸根具足
 生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす
7.除病安楽 
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
8.転女得仏
 成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
9.安立正見
 一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
10.苦悩解脱
 重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
11.飽食安楽
 著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
12.美衣満足
 困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す

ご真言

おん ころころせんだり まとうぎ そわか

『概略』

宝劒(剣)山 神護寺
(霊場御朱印)

創建

大永7年(1527年)僧・中栄

宗派

臨済宗 妙心寺派

ご本尊

霊場御本尊

薬師如来坐像 本堂

ご真言 

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

寺院御本尊

阿弥陀如来

ご真言

おん あみりた ていぜい から うん

宗派ご本尊

釈迦牟尼仏

ご真言

のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

住所・連絡先

大分県大分市鶴崎国宗654 TEL 097-527-2577
(地図)

アクセス

【電車・バスの場合】
JR日豊本線・鶴崎駅より徒歩17分。
または鶴崎駅より徒歩4分のバス停「鶴崎駅前」で大分バスに乗り換え「鶴崎橋」下車後、徒歩6分。
【車の場合】
東九州自動車道・大分宮河内ICを出て14分。

駐車場 有 大型車1台、普通車7台可

劒八幡宮の別当寺

別当寺とは、専ら神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺のことを指します。
神前読経など神社の祭祀を仏式で行い、その主催者を別当(社僧の長のこと)と呼んだことから、別当の居る寺を別当寺と称しました。
神宮寺、神護寺、宮寺なども同義です。

宝劒(剣)山神護寺のはじまりは大永7年(1527年)、僧・中栄によって創建され、山岳信仰に篤い豊後地方で修験者の道場として栄えていました。
天保3年(1832年)に四国八十八ヶ所の本尊を勧請し、高城観音(九州西国 第九番札所)の分霊を迎えるなどして勢いが盛んでした。

大友氏の終焉とともに豊後国は小藩に分割され、当地、鶴崎は肥後熊本城主の加藤氏の飛地領となり、さらに細川氏が伝領しました。
その細川氏の時代に鶴崎総鎮守として敬ったのが後述の劒(けん)八幡宮でした。
この劒八幡宮を抜きにして神護寺を語ることはできません。
古絵図にも社殿に隣接して伽藍が見受けられるそうです。

寺伝によれば、前述細川氏の二代藩主、細川光尚が鶴崎領内に一宇を建立したのが始まりと言われています。
一方で『寺院明細帳』には、大永7年(1527年)僧中栄が創建し、のちに地蔵堂を建立したとあります。
ちなみにその僧中栄は修験者だったといわれています。

しかし、明治維新の神仏分離令により著しく衰退しましたが、その危機を救ったのが先代住職だそうです。
先代住職は鶴崎地区に散在する無縁塚を一堂に集め、懇(ねんご)ろに供養する姿に帰依した人たちから浄財が寄せられ、寺の再建に大きく寄与したそうです。

同じく臨済宗系の寺院である大徳寺の開山、大灯国師の道歌に「坐禅せば 四条五条の橋の上 行き来の人を 深山木(みやまぎ)にして」とありますが、歌の意味は、世間の雑踏の中にあっても、雑事に患わず、世人と交わる中にも、本来の修行ができると言っています。

まさに神護寺の先代住職の行いが仏果を得て、十年を待たずして新築の会館を設けるまでに再興しました。

劒(けん)八幡宮

正保2年(1645年)の創建で、行方不明だった宇佐神宮神宝の剣が発見されたことに由来する八幡宮です。
剣が発見されたことを聞いた肥後熊本藩主細川光尚公は嫡男綱利公の誕生にあわせ、これを吉事と喜び社殿造営を命じたといわれています。

南無釈迦牟尼仏

前述の劒八幡宮の「けんか祭り」は360余年の伝統ある祭りで有名です。
山車には御神体に見立てた宝剣が飾られ、掛声勇ましく相手の山車に激突する様は、まさに「けんか祭り」と呼ばれるゆえんです。
山車の上に乗り太鼓を叩き、両手に榊を持ち踊るさまは圧巻です。
午後2時から3時まで、国道197号を通行止め(商店街歩行者天国)にして練り歩きます。
夕方(午後5時頃)には、鶴崎公園グラウンドに山車が集結し山車の衝突が間近で見られます。

次回は九州四十九院薬師霊場 第十五番 瑞雲山龍興寺をお伝えしてまいります。

願わくは
この功徳をもってあまねく一切に及およぼし
われらと衆生と
みなともに仏道を成ぜんことを 合掌

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