
今日9月12日は「マラソンの日」です。
紀元前450年のこの日、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのをアテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われています。
そして1896年(明治29年)にアテネで第1回近代オリンピックが開かれるに当たり、この故事を偲んでマラトンからアテネ競技場までの約40kmの競走が加えられ、初めての「マラソン競走」が行われました。
マラソンとは

陸上競技の長距離走のひとつで、42.195kmの公道コースを走り、順位や時間を競う種目で、古代ギリシアの故事に由来して、第1回近代オリンピックの創設に伴い陸上の新種目とされたことから始まりました。
マラソンの名前の由来

19世紀にイギリスの詩人であるロバート・ブラウニングが書いた詩によれば、紀元前450年9月12日、アテナイの名将ミルティアデスはマラトンに上陸したペルシャの大軍を奇策で撃退しました。
この戦いはマラトンの戦いと言い、勝利というエヴアンゲリオン(良い知らせ)をアテナイの元老に伝えるためにフィリッピデスという兵士が伝令に選ばれました。
フィリッピデスはマラトンから約40km離れたアテナイまでを駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったと言われています。
アテナイは現在のアテネとされています。
ただ、他の歴史書の記載とは相違点もあります。
ヘロドトスの『歴史』によると、フィリッピデスが走ったのは紀元前490年のペルシャとの戦いにおけるアテネからスパルタまでの約250kmで、その目的は終わった戦いの勝利を告げるものではなく戦いの前にペルシャ軍を撃退する援軍を集めようとするもので、走った後に死亡したという記載もありません。
また、マラトンの戦いにおいて勝利を告げた使者の名は、古代ギリシャの伝記作家であるプルタルコスの著作によればエウクレスとされ、またテルシッポスと伝える史料もあります。
現在ではその歴史に基づき、アテネからスパルタまでの246kmを走るウルトラマラソンの大会「スパルタスロン」も行われています。
距離が42.195kmの由来

1920年(大正9年)の第7回近代オリンピックまでは距離の統一はされておらず、約40kmであればよいとされていました。
しかし、1924年(大正13年)の第8回のパリオリンピックから規格統一が検討され、その際に1908年(明治41年)の第4回ロンドンオリンピックのマラソン距離42.195kmが採用されて、現在に至るまで踏襲されています。
その第4回ロンドンオリンピックでは、当初、ウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの26マイル(41.843km)の予定でしたが、王妃アレキサンドラがバルコニーから見えるように「スタート地点を宮殿の庭に」などの要望で385ヤード(0.352km)延びたという逸話もあります。
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