
今日5月29日はエベレスト登頂記念日です。

1953年(昭和28年)のこの日、ニュージーランドのエドモンド・ヒラリーとチベット人シェルパのテンジン・ノルゲイが、世界で初めて世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)の登頂に成功しました。

イギリスで王立地理学会と英国山岳会がエベレスト遠征隊の組織と資金援助を目的に共同で設立した委員会が送り出した第2次遠征隊は1922年に組織・実行され、3度の頂上アタックを行いました。
7620mの地点に設けられた第5キャンプから第1次アタックチームを率いたマロリーは、酸素ボンベなどは信頼性が低いと考えてこれを用いず、サマヴィルやノートンらと無酸素で北東稜の稜線に達しました。
薄い空気に苦しみながら、一同は8225mという当時の人類の最高到達高度の記録を打ちたてましたが、天候が変化し、時間が遅くなっていたため、それ以上の登攀ができませんでした。
次にジョージ・フィンチとウェイクフィールド、ジェフリー・ブルースからなる第2次アタックチームは酸素ボンベをかついで5月27日に8321mの高さまで驚異的なスピードで到達することに成功しました。

しかし、ブルースの持っていた酸素器具の不調で第2次チームが戻ってくると、マロリーはフィンチ、サマヴィルと第3次アタックチームを編成して山頂を目指そうとしましたが、マロリーらがシェルパとともにノース・コル目指して斜面を歩いているとき、雪崩が発生して7名のシェルパが落命したため、一行は失意のうちにベースキャンプに戻り遠征は終了しました。

時を経て第二次大戦後の1953年、酸素装備の改良、登攀技術の研鑽などによって満を持したイギリス隊が送り込まれました。
この機会を逃せば次の派遣は数年後になっており、翌年以降各国が続々と隊を送り込む予定だったため、イギリスは強い意気込みで1953年隊を送り出しました。
遠征隊は順調にキャンプを前進させていき、2つの頂上アタックチームを送り出しました。
まず最初のチャールズ・エバンスとトム・ボーディロンのチームが5月26日にアタック、南峰(8749m)を制しましたが、酸素不足で撤退しました。
後に続いたエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイの第2チームが5月29日午前11時30分に世界初の登頂に成功、同年2月6日のエリザベス2世の戴冠と時期を同じくする偉業にイギリスは沸き、マロリー以来の宿願を果たしました。
エベレストの標高について

エベレストの標高については諸説あり、1954年(昭和29年)にインド測量局が周辺12ヵ所で測定し、その結果を平均して得られた8848mという数値が現在でも一般的となっています。
近年、全地球測位システム(GPS)を使用した結果、1999年(平成11年)にアメリカの調査団が8850m、2005年(平成17年)に中国の政府機関が8844mと発表しています。
これらの標高の違いは、測量法の違いや地殻変動などの影響によるものと考えられています。
名前の由来について

英名の「エベレスト(Everest)」は、ヒマラヤ山脈を測量した時にインド測量局の長官であったイギリスの探険家・地理学者であるジョージ・エベレストの名前に由来しています。
チベット名は「チョモランマ(Chomo Langma)」で、チベット語で「大地の母」という意味だそうです。


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