5月21日 リンドバーグ翼の日

今日は何の日

今日5月21日はリンドバーグ翼の日です。

1927年(昭和2年)のこの日、アメリカのチャールズ・リンドバーグがパリに到着し、大西洋単独無着陸横断飛行に成功しました。

前日20日の午前5時52分(現地時間)、「スピリット・オブ・セントルイス号」と名付けられた飛行機でニューヨークを出発しました。
非常用パラシュートはなく、食料はサンドイッチ5個と水1リットルのみで、睡魔と寒さと戦いながらの命がけの飛行でした。

21日の午後、パリ近郊のル・ブールジェ空港に到着しました。
空港は英雄をひと目見ようと10万人の群衆が集まりました。

飛行距離は約5800km、飛行時間は33時間30分でした。
25歳の無名の青年の快挙でした。
後にこれをモデルに、映画「翼よ!あれが巴里の灯だ」が作成され、1957年(昭和32年)に公開されました。

大西洋単独無着陸飛行

リンドバーグはスピリットオブセントルイス号に1700リットルのガソリンを積んでニューヨーク・ロングアイランドのぬかるんだルーズベルト飛行場の滑走路を離陸しました。

途中、海面近くまで降りアイルランドの海岸までの距離を聞こうと漁船に向かって叫んだが上手くいきませんでした。
そして5月21日22時21分(到着時の現地時間)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功しましたた。

これにより、リンドバーグは、ニューヨーク-パリ間を無着陸で飛んだ者に与えられるオルティーグ賞とその賞金25000ドル、さらに世界的な名声を得ました。

スピリットオブセントルイス号は、リンドバーグの指示の下に特別にカスタマイズされた機体でした。
多量の燃料(ガソリン)を積むべく操縦席の前方に燃料タンクを設置したため、座席からは直接前方が見えず、潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要がありました。
当時、無名の操縦士だったリンドバーグには出資者が少なかったため、他のオルティーグ賞挑戦者のように大型の機材を用意できず、また機材そのものもリンドバーグが望んだベランカ社製品より性能の低いものにせざるを得なかったため、前方視界を犠牲にして燃料の搭載量を増やすことで対処したのでした。

さらにバックアップの操縦士を乗せることもしなかったため、パリまでの全行程を一人で操縦し続けるという過酷な飛行となりました。
飛行中、リンドバーグは強い睡魔に襲われましたが、これを克服してパリに到達しました。
現在、スピリットオブセントルイス号はスミソニアン航空宇宙博物館に展示されています。

「リンドバーグが大西洋無着陸飛行に初めて成功した」と誤解されがちだが、単独でない大西洋無着陸飛行については、1919年にジョン・オールコックとアーサー・ブラウンが達成しています。
これは、6月14日から6月15日にかけての16時間でニューファンドランド島からアイルランドへ1890kmを飛行したものでした。

また、パリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだと言われていますが、この台詞は後世の脚色で、リンドバーグはその時自分がパリに着いたことも分らなかったそうです。
実際に発した最初の言葉としては、「誰か英語を話せる人はいませんか?(この後英語を話せる人に「ここはパリですか?」と尋ねる)」であるという説と、「トイレはどこですか?」であるという説があります。

人工心臓の開発

意外にも、リンドバーグの大きな業績の一つとして人工心臓の開発があります。
リンドバーグには心臓弁膜症を患っている姉がおり、心臓病の治療法を開発したいという思いから生理学者アレクシス・カレルの研究室を訪れました。
2人は意気投合し共同研究をおこない、1935年に「カレル・リンドバーグポンプ」を開発しました。
これは今日の人工心臓に影響を与えています。
組織が体外で生き続るための生理学的条件についてはカレルの知識が、血液を連続して環流させるポンプ装置の発明についてはリンドバーグの工学知識が生かされたそうです。

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