5月6日 鑑真忌

今日は何の日

今日5月6日は鑑真忌です。

唐の高僧で、日本に渡って日本律宗を開いた鑑真の763年(天平宝字7年)、76歳の生涯を閉じました。

なお、鑑真が開山した唐招提寺(後述)では、月遅れの6月6日を「開山忌」としている。

鑑真

鑑真がんじん)は、唐代の僧人で、日本における律宗の開祖です。
当時、奈良には私度僧(自分で出家を宣言した僧侶)が多かったため、伝戒師僧侶に位を与える人)制度を普及させようと聖武天皇は適当な僧侶を捜していました。
その使命を帯びて、日本から僧・栄叡、普照らは授戒できる僧10人を招請するため唐に渡り、揚州の大明寺の住職であった742年、戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れました。
そして栄叡、普照らから戒律を日本へ伝えてくださるよう懇請されました。

栄叡と普照の要請を受けた鑑真は、渡日したい者はいないかと弟子に問いかけましたが、危険を冒してまで渡日を希望する者はいませんでした。
そこで鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子21人も随行することとなりました。

日本への渡海を5回にわたり試みましたが、悉く失敗し、鑑真は南方の気候や激しい疲労などにより、両眼を失明してしまいました。

753年、鑑真のもとを訪ねてきた遣唐大使の藤原清河らに渡日を約束しました。
しかし、明州当局の知るところとなり、清河は鑑真の同乗を拒否しました。
それを聞いた遣唐副使の大伴古麻呂は清河に内密に第二船に鑑真を乗船させました。

鑑真の乗った第二船は、屋久島に到着して鑑真の渡日が叶いました。

大宰府に到着した鑑真は大宰府観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行い、754年平城京に到着して聖武上皇以下の歓待を受け、孝謙天皇の勅により戒壇の設立と授戒について全面的に一任され、東大寺に住することとなりました。

その後、東大寺大仏殿に戒壇を築き、上皇から僧尼まで400名に菩薩戒を授けました
これが日本の登壇授戒のはじまりです。
併せて、常設の東大寺戒壇院が建立され、その後、日本の東西で登壇授戒が可能となるよう、大宰府観世音寺および下野国薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されていきました。

758年、淳仁天皇の勅により大和上に任じられ、政治にとらわれる労苦から解放するため僧綱(そうごう)日本における仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧官の職)の任が解かれ、自由に戒律を伝えられる配慮がなされました。 759年、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建し、戒壇を設置しました。
鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えました
また、悲田院(仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設)を作り貧民救済にも積極的に取り組みました

唐招提寺(とうしょうだいじ)

唐招提寺は、奈良県奈良市五条町にある律宗の総本山の寺院です。山号はありません。
本尊は盧舎那仏です。
寺名は当初は「唐律招提」と称しました。
唐では官寺でない寺を「招提」と称したといい、「唐律招提」とは「唐の律を学ぶ道場」の意で、後に官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになりまし。
鑑真が晩年を過ごした寺で、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有します。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました