4月15日 ジャッキー・ロビンソンの日

今日は何の日

今日4月15日はジャッキー・ロビンソンの日です。
ジャック・ルーズベルト・ロビンソンは、アメリカ合衆国ジョージア州カイロ出身のプロ野球選手(内野手)です。
ロビンソンの背番号「42」は、メジャーリーグベースボール全球団共通の永久欠番となっています(後述)。

アメリカのメジャーリーグベースボール(Major League Baseball:MLB)が2004年(平成16年)「人種の壁」を破ったことを記念して制定しました。

1947年(昭和22年)のこの日、ジャッキー・ロビンソンがメジャーリーグ初の黒人選手として当時のブルックリン・ドジャースでデビューしました。
英語では「ジャッキーロビンソンデー(Jackie Robinson Day)」(後述)と呼ばれています。

1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍し、様々なタイトルや賞を獲得し、輝かしい功績を残したことで有色人種のメジャーリーグ参加の道を開きました。

ジャッキー・ロビンソンは、1919年1月31日ジョージア州カイロで5人兄弟の末っ子として生まれました。
祖父はアフリカから連れてこられた奴隷でした。
生後6カ月の頃に父が蒸発したため、カリフォルニア州パサデナへ移住し、母はメイドとして働きましたたが、週8ドルの収入では家族を養うことができなかったため、生活保護を受けていました。

兄のマシューは1936年ベルリンオリンピックの200m走で銀メダルを獲得しました。
ロビンソンもスポーツ選手として頭角を現し、フットボール、バスケットボール、野球、陸上の4つのスポーツで奨学金をもらい、高校へ進学しました。
その後、多くの大学から奨学金を提示されたが、最も条件の良い大学ではなく、自宅から通える事を理由に、1939年からはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ進学しました。

ロビンソンは一般に「黒人初のメジャーリーガー」と言われていますが、これは厳密に言えばMLBが体制を整備し終えた1900年以降の「近代メジャーリーグ」を対象とした言い方です。
ちなみに、アフリカ系アメリカ人のメジャーリーガーは、1884年にアメリカン・アソシエーションのトレド・ブルーストッキングスでプレーしたモーゼス・フリート・ウォーカーが最初であるとされています。

ロビンソンはデビュー1年目から実力を発揮し、一塁手として打率.297・12本塁打・48打点・29盗塁という成績を残してチームの優勝にも貢献し、同年より制定された新人王を受賞しました。
こうして、彼は後に続く黒人選手の道すじをつくりました。

死後、妻のレイチェルは非営利財団「ジャッキー・ロビンソン財団」を創設しました。
ロビンソンの活躍によりメジャーへの黒人選手受け入れを早める役割を果たし、ハンク・アーロンやウィリー・メイズ、サチェル・ペイジのメジャーデビューの足がかりとなりました。
MLBのみならず、人種差別問題そのものへ与えた影響も非常に大きく、他のスポーツの選手からも尊敬を集めています。
1987年にはMLBの新人王にあたるルーキー・オブ・ザ・イヤーに「ジャッキー・ロビンソン賞」という別名が付けられました。

またロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、ロビンソンの背番号「42」が全球団共通の永久欠番となりました。
同日、ドジャース対メッツ戦が行われたニューヨーク・メッツの本拠地シェイ・スタジアムで式典が行われ、ヤンキースのクローザー、マリアノ・リベラなどをはじめとした従来から背番号42をつけていた選手に限って引退まで使用することが許可され、現役中であれば途中移籍した場合での移籍先での着用も認められました(2013年にリベラが引退したことに伴い背番号42の現役選手はゼロになりました)。
1999年には、メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チームの二塁手部門にロビンソンが1位で選出されました。
全球団共通の欠番となった理由としてはジャッキーのおかげで多くの人種がメジャーリーグに参入できたことと人類平等表しています。

2004年4月15日にMLBはこの日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定しました。
2007年以降はジャッキー・ロビンソン・デーでは希望する選手全員がジャッキー・ロビンソンの永久欠番である背番号42の付いたユニフォームを着用して試合に出場が可能となり、2009年以降はジャッキー・ロビンソン・デーでは全ての選手、コーチ、監督、審判が42番のユニフォームを着て試合に出場するようになりました。

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