
今日4月10日は瀬戸大橋開通記念日です。
1988年(昭和63年)のこの日、「瀬戸大橋」が開通し、本州と四国が橋で結ばれました。
瀬戸大橋は岡山県倉敷市と香川県坂出市との間9.4kmの海峡部を結ぶ橋で、道路・鉄道併用の6つの橋(下津井瀬戸大橋・櫃石島橋・岩黒島橋・与島橋・北備讃瀬戸大橋・南備讃瀬戸大橋)で構成されています。
橋の全長12.3km、幅35m、高さ194mです。
橋は上部に4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にJR本四備讃線(愛称:瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造になっています。
そもそも、明治22年5月23日 香川県議会議員の大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)が讃岐鉄道の丸亀-多度津-琴平線の開通祝賀会で、
「ここに本日を卜し讃岐鉄道開業の式を挙ぐ、予やその末班に列し、何んぞ一言の祝辞無かる可けんや。……塩飽諸島を橋台となし、山陽鉄道に架橋連結せしめなば、常に風波の憂ひなく、午後に浦戸の釣を垂れ、夕に敦賀の納涼を得ん。 実に南来北行、東奔西走瞬時を費さず、その国利民福これより大なるはなし。…いささか巳往と将来を述べ以て、本日の祝辞に代ふ」

(今、目の前に見えている島々を継いで橋を架ければ、悪天候にも左右されずに、あっと言う間に海を渡ることができる。その効果は計り知れない。)
と語ったのが、架橋構想の芽生えと言えるでしょう。

時はくだり、昭和30年5月11日朝、修学旅行生を乗せた国鉄宇高連絡船「紫雲丸」が霧の中で「第三宇高丸」と衝突して沈没、小・中学生を含めて168人の生命が奪われるという悲惨な事故が発生しました。
この事故は、本州と四国の連絡する必要性を決定的なものとしました。

そして、本州と四国を結ぶ世界最長の道路・鉄道併用橋である瀬戸中央自動車道(早島IC~坂出IC間)(瀬戸大橋)は、着工から約9年6月の工期を経て完成しました。

開通式は、午前8時過ぎに、岡山県側は、早島インターチェンジと下津井瀬戸大橋橋上で、また、香川県側は、坂出インターチェンジと南備讃瀬戸大橋橋上での鋏(はさみ)入れ式から始まりました。
岡山県側は、越智伊平建設大臣、中山正暉郵政大臣、長野士郎岡山県知事、山根孟本州四国連絡橋公団総裁らがテープに鋏を入れ、一方の香川県側では、石原慎太郎運輸大臣、平井誠一香川県知事、中内力高知県知事、加瀬正蔵公団副総裁らがテープに鋏を入れました。
テープカットの後、橋の両側から、参列者の乗用車、バスなどの橋上パレードがスタートしました。
また、瀬戸大橋線ではJR四国の高松駅、宇多津駅、JR西日本の岡山駅及び児島駅で出発式を行いました。
橋上パレードの後、午前10時30分から瀬戸中央自動車道の中央部に位置する与島パーキングエリアの特設テントにおいて、皇太子殿下ご夫妻をお迎えして、約830人の関係者による盛大な開通式典が挙行されました。
開通式典では、山根公団総裁の式辞、越智建設大臣、石原運輸大臣の挨拶に続き、竹下登内閣総理大臣、長野岡山県知事、平井香川県知事らの祝辞を賜り、瀬戸中央自動車道の開通を祝しました。

その後、午後2時頃から岡山県側は、倉敷市営体育館、香川県側は坂出市立体育館において、地元主催の開通祝賀会が開催され、関係者が開通を祝しました。


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