
今日4月9日は大仏の日・大仏開眼の日です。
752年(天平勝宝4年)のこの日、奈良・東大寺の大仏が完成し、開眼供養会(かいげんくようえ:魂入れの儀式)が盛大に行われました。
正式な名称は「盧舎那仏坐像」ですが、一般に「奈良の大仏」として知られています。

大仏は聖武天皇の発願で745年(天平17年)に制作が開始され、盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言われる大乗仏教における仏の一つです。
『続日本紀』によれば、聖武天皇は天平12年2月(740年)、河内国大県郡(大阪府柏原市)の知識寺で盧舎那仏像を拝し、これが大仏造立のきっかけとなったと伝わっています。
聖武天皇は天平15年に近江国紫香楽宮にて大仏造立の詔を発しました。
その詔の全文は『続日本紀』にあり以下のようなものでした。

「私は天皇の位につき、人民を慈しんできたが、仏の恩徳はいまだ天下にあまねく行きわたってはいない。三宝(仏、法、僧)の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む。ここに、天平15年10月15日、菩薩の(衆生救済の)誓願を立て、盧舎那仏の金銅像一体を造ろうと思う。国じゅうの銅を尽くして仏を造り、大山を削って仏堂を建て、広く天下に知らしめて私の知識(大仏造立に賛同し、協力する同志)とし、同じく仏の恩徳をこうむり、ともに悟りの境地に達したい。天下の富や権勢をもつ者は私である。その力をもってこの像を造ることはたやすいが、それでは私の願いを叶えることができない。私が恐れているのは、人々を無理やりに働かせて、彼らが聖なる心を理解できず、誹謗中傷を行い、罪におちることだ。だから、この事業に加わろうとする者は、誠心誠意、毎日盧舎那仏に三拝し、自らが盧舎那仏を造るのだという気持になってほしい。たとえ1本の草、ひとにぎりの土でも協力したいという者がいれば、無条件でそれを許せ。役人はこのことのために人民から無理やり取り立てたりしてはならない。私の意を広く知らしめよ。」

開眼供養会には、聖武太上天皇(天平勝宝元年に譲位していた)、光明皇太后、孝謙天皇を初めとする要人が列席し、参列者は1万数千人に及んだとそうです。
開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当しました。
また、『華厳経』を講ずる講師は大安寺の隆尊律師、『華厳経』を読み上げる読師は元興寺の延福法師でした。

開眼会当日の様子は次のようなものでした。
大仏殿前の庭には五色の幡と宝樹が飾られ、中央には舞台が、東西には『華厳経』の講師と読師のための高座が設置されました。
大仏殿内は造花と繍幡(刺繍を施した幡)で荘厳されていました。
玉座には聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇が座しました。
孝謙天皇は中国風の冕冠(べんかん 日本の天皇や皇太子が着用した礼冠の一種)を被り、和神事用の白の帛衣という、和中混在した礼服。
聖武の礼服も白色と伝わり、和神事用礼服だと推定されていて、唐礼を受容して中国の皇帝的な在り方を目指す過渡的な姿だとされています。
南門からは上位の僧1026人が入場。
大仏の瞳を描き入れる儀式は、聖武太上天皇が体調不良のため、菩提僊那が担当しました。
菩提僊那が開眼に使用した筆には長大な縷(る 細い糸)が取り付けられていて、列席の人々はこの縷に触れて大仏に結縁しました。
このあと、唄(ばい)、散華(さんげ)、梵音(ぼんのん)、錫杖(しゃくじょう)という四箇法要が行われ、続いて『華厳経』の講説がありました。
続いて衆僧・沙弥9799人が南門から入場し、幄(仮の座席)に着座しました。
大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺の四大寺の僧が数々の珍宝を大仏に献じました。
さらに日本、中国、朝鮮の楽人・舞人らによる楽舞が披露されました。
当日奉納されたのは大歌女・「大御舞(おおうため・おおみまい)」、「久米舞」、「楯伏舞(たてふしのまい)」、「女漢躍歌(おんなあやおどりうた)」、「跳子(とびこ)」、「唐古楽」、「唐散楽」、「林邑楽(りんゆうがく)」、「高麗楽」、「唐中楽」、「唐女舞」、「高麗女楽」で、これらが夕方まで舞われました。
このうちの林邑楽が、仮面劇の伎楽にあたるとみられています。
なお、開眼供養会の時点で大仏本体の鋳造は基本的には完了していましたが、細部の仕上げ、鍍金、光背の制作などは未完了でした。

現在の坐像は座高が約15m、顔の長さ約5m、目の長さ約1mで、この大仏開眼供養で使用された遺品は正倉院に奉納されています。
中世、近世に複数回焼損したため大部分が補作されていて、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部です。
「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されています。
盧舎那仏

盧舎那仏は正式には、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と呼ばれ、大乗仏教(出家者に限らず在家者を含めた一切の衆生の救済を掲げる仏教宗派の総称)における信仰対象である如来の一尊です。
華厳経において中心的な存在として扱われる尊格であり、密教においては大日如来と同一視されます。
毘盧遮那とはサンスクリット語の「ヴァイローチャナ」(Vairocana)の音訳で「光明遍照」を意味しています。
仏であることを明示するために、「仏」字を付して毘盧舎那仏と表現されることが一般的ですが、頭の文字を略して盧遮那仏(るしゃなぶつ)、遮那仏(しゃなぶつ)とも表されることもあります。
尊名は華厳経では「舎」の字を用いて毘盧舎那仏、大日経では「遮」の字を用いて毘盧遮那仏と表記されます。
また、真言宗などの密教における摩訶毘盧遮那仏(大毘盧遮那仏(マハー・ヴァイローチャナ)は、大日如来と呼ばれ、成立の起源を、ゾロアスター教の善の最高神アフラ・マズダーに求める学説があります。


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