6月3日 雲仙普賢岳祈りの日

今日は何の日

今日6月3日は「雲仙普賢岳祈りの日」です。

犠牲者の追悼と災害の教訓を後世に伝えていくために長崎県島原市が「いのりの日」として1998年から実施しています。
大火砕流発生の16:08には、市民に向けて黙祷を呼びかけるサイレンが鳴らされます。

1991年のこの日、雲仙普賢岳で大火砕流が発生しました。
水無川流域に位置する一帯では山頂付近にできた溶岩ドームが崩れ、「定点」と呼ばれた撮影ポイントにいた報道陣16人とマスコミにチャーターされたタクシー運転手4人、避難勧告地区内で警戒中の消防団員12人、警察官2人、住民6人、火山学者3人が巻き込まれ死者40人、行方不明3人という犠牲者を出しました。

噴火災害で家を失った被災者の多くが移り住んだ同市の仁田団地の第一公園内には「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」が、また、同市平成町の島原復興アリーナの海岸側に「消防団殉職者慰霊碑」が建てられていて、これらの碑の前に献花所が設置され、黙祷を行っています。

また、島原復興アリーナにおいて犠牲者追悼式や手紙・写真パネル展が開催されるなど同市内の各地で追悼行事が行われます。

雲仙岳について

雲仙岳は広義では普賢岳、国見岳、妙見岳の三峰、野岳、九千部岳、矢岳、高岩山、絹笠山の五岳からなる山体の総称で、「三峰五岳の雲仙岳」と呼ばれています
行政区分では島原市、南島原市、雲仙市にまたがっていますが、狭義では「三峰五岳」のうちの「三峰」を指すこともあります。

主峰は普賢岳(1359m)ですが、1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての火山活動で形成された平成新山(1483m)の方が高く、長崎県の最高峰となっています。

雲仙はもとは「温泉」の表記で「うんぜん」と読んでいたが、国立公園指定の際に現在の表記に改められ、雲仙国立公園(現:雲仙天草国立公園)は、1934年(昭和9年)に日本で最初に指定された国立公園です。硫黄泉の雲仙温泉があり、キリシタン殉教の舞台となった雲仙地獄めぐりが有名です。

前述の噴火活動は、1996年6月に「噴火終息宣言」が出されましたが、噴火活動で形成された溶岩ドーム(平成新山)を含む約950ヘクタールは現在も警戒区域となっています。

災害とマスコミ報道

この雲仙普賢岳の大火砕流や東日本大震災などの大災害を教訓に、メディアの安全管理についての考え方や取材の手法も大きく変わりました。
とりわけ雲仙普賢岳の報道に関しては、マスコミ当事者以外にチャーターされたタクシードライバーや報道スタッフの違法行為やモラルに反した行動により被災地等より多くの非難の声が上がりました。

そこで報道機関においても、その教訓や反省から災害における報道の在り方が検討されました。

技術革新によって通信機器や撮影機材が進化し、ロボットカメラなどを活用し危険な場所への取材クルーの立ち入りを極力少なくするとともに、放送局にいながら現地で取材しているクルーの場所や安全性を確認し、次の取材に向かわせることもできるようになったり、現地における中継などは、高台や頑丈な建物の室内など安全が確保できる場所から行い、その状況も含めてコメントで伝えるようになりました。
さらに安全管理を専門に見る管理職「安全管理者」が現場で指揮を執るようになっています。

ただ、それでも変わらないことがあります。「正常化バイアス」と「同調性バイアス」をどう取り除くかです。
いざ現場に立ち会うと、視聴者に訴える力がある情報や映像を伝えたくなります。「自分だけは大丈夫」「ほかの社も入っているみたいだから大丈夫」という「正常化バイアス」と「同調性バイアス」から、逃れられない性があることも間違いありません。

雲仙普賢岳の大火砕流で亡くなったNHKカメラマンの矢内万喜男さんの妻である真由美さんが書いた『なぜ、雲仙で死んだの。』には、あとがきにこう記されています。

「世の視聴者の「もっと迫力のある映像が見たい、もっと面白いニュースが見たい」という欲求は止まるところを知らない。そんな茶の間の欲求の犠牲になって、ひとりの人間の尊い人生がプツンと打ち切られてしまったとしたら……。私には、近い将来、必ずや同じような惨事が繰り返されるような気がしてならない。見る者の興味がより膨らみ、送り手もその欲求に応えることだけを至上のものと考えるならば、私たちと同じような悲しみを味わう人が、いやもっと酷い仕打ちに遭う人が出るにちがいない。夫たちの死が、現在の過激な報道競争に歯止めをかけ、より具体的な安全対策を講ずるための一助になることを心から願っている。」と・・・

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