
エイサー太鼓の音が、徐々に近づいてきます。
知人が
「すぐそこの道を『道ジュネ―』が通るよ」
道ジュネーとは、お盆の最終日、ウークイの日に、エイサーを踊りながら地域の家々を巡ることを、沖縄では「道ジュネー」と言います。
その言葉を聞くと「ちょっと見てくるね」と言い残して、私は走り出していました。
道に出ると、ドンドンという音が、距離と共に少し潤いをもった空気を伝わり、肌に響くように近づいてきます。
エイサーはその起源については、諸説あり、定まったものはありませんが、現在では、お盆の最終日、ウークイの日、お迎えしたご先祖様が無事にグソー(後生、あの世)に戻れますようにと祈りながら、踊り巡ります。
まさしく沖縄のお盆を象徴する伝統芸能です。
私の目の前をエイサーの一団が通り過ぎようとしています。
工事現場で見かけるようなサーチライトや、スピーカーなどの音響装置を荷台に乗せた軽トラックを先頭に、大音量とともに、地方(じかた)の唄・三線(うたさんしん)、大太鼓、締太鼓、手踊り、それぞれが汗を流しながらも必死に踊り歩く姿には、不思議な高揚感と共に感動すら覚えます。
あとで聞いた話ですが、その感覚を沖縄の言葉で「肝(ちむ)どんどん」と呼ぶそうです。
なぜ、見る者の魂をこんなにも震わせるのでしょう。
それは五臓六腑に響くように伝わってくる太鼓の音や一糸乱れぬ踊りの勇壮さであるかもしれません。
しかし、心を打つ本当の理由は、各青年会が自分のシマ(字)のエイサーを、誇りを持って魂をこめて踊るところにあるのではないでしょうか。
各青年会の地域的独自性が色濃く映し出されているといいます。
そんな背景を感じながら、バチさばき、足の上げ具合を見ていると、「肝(ちむ)どんどん」の大きな要因ではないかと思えてなりません。
一方で、沖縄本島中部の東海岸の平敷屋(うるま市)のエイサーは、私がイメージしていたエイサーとイメージが大きく異なるものです。
県内でも最も格式高い伝統的・奉納的なエイサーといわれ、エイサーの原型、念仏踊りを色濃く残しているそうです。

大太鼓を使わず、パーランクー(片面手持ち太鼓)のみで素足に僧侶のような姿で整然と静かに踊り、先祖供養のための厳かな念仏踊りの姿を現在に伝えています。
後日、その平敷屋エイサーを見る機会があり、その違いはもとより、心への響き方がまるで違っていました。

そこには先祖に対する静かな祈りのようなものを感じました。
知人のお盆のウークイに見たエイサーが「動」とすれば、正反対の「静」のエイサーでした。
「動」のエイサーの盛大な太鼓と賑やかな音にも、先祖に対する祈りや供養、そして地域の安全への願いが込められています。
一方、「静」のエイサーから聞こえてくるパーランクーの哀愁を帯びた響きや、ゆったりとしたリズムの踊りにも、同じように祈りや願いが込められています。
いずれもどちらが好きとか言う基準から比較することはできません。
いずれのエイサーにも脈々と地域独自の伝統守っていこうとする若者たちの気概のようなものが感じられます。
ふと、この感覚何かに似ているかもしれないと感じました。
そう、あの「博多祇園山笠」です。

エイサーと山笠、ひとつひとつの行事を眺めてみれば、まったく別物です。
でも、櫛田入り前の「やぁーっ!」という声や、「オイサオイサ」という掛け声にどこか共通した響きを感じ、気持ちが高揚するのは私だけでしょうか。
そして祝い唄の「博多めでた」を奉納している間の静寂感。
いずれも形は違えども、どこかで繋がっているように感じます。
さらに、博多祇園山笠には「流」という集合体があり、エイサーにも「青年会」という組織が存在して、その伝統を次の世代へと引き継ごうとしています。
なお、このエッセイは、姉妹 ブログ『私・徒然草』と同時公開とさせていただきました。悪しからずご了承ください。ブログ作成・ホスティングサービスを選ぶ
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