七十二候は18日より寒露の末候、蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)になります。
そして、17日は伊勢神宮では日本版ハロウィンとも言える「神嘗祭(かんなめさい)」が執り行われます。
さらには、17日は沖縄そばの日でもあります。
神嘗祭・沖縄そばの日については風物詩のカテゴリーに別記事にして公開してありますのでご一読ください。
蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
さて蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)という七十二候は、ツヅレサセコオロギが寒さをしのぐため戸口のそばまでやってきて鳴く頃という意味です。
その声は細く哀愁を帯びた声で鳴くのです。
物事は盛りのときよりも、終わりゆくときがもっとも趣深く、心を打ちます。月は満ちていくときよりも、欠けていくときの方が味わい深く、虫の音も盛んに鳴いているときではなく、弱っていくときにこそ、しみじみと胸に迫るものがあります。
ここにある「蟋蟀」とは、「ギーッ、チョン」と機織り機のように鳴くキリギリスではなく、「リッリッリッリッリッ・・・」と鳴く「ツヅレサセコオロギ」のことを指しています。
昔は「蟋蟀 (コオロギ)」のこともキリギリスと呼び、秋鳴く虫の総称でもありました。
「蟋蟀戸在」は中国最古の詩篇である「詩経」で農民がその暮らしを詠った「七月は野に在り、八月は軒下に在り、九月は戸に在り、十月は我が床の下に入る」に由来したものです。
その後有名な詩人の杜甫や白居易の漢詩にも夜寒をさけて暖を求めて蟋蟀が家や寝床に近づくことが詠まれています。
昔、貧しい農民や庶民たちにはその鳴き声は「肩刺せ、袖刺せ、綴れ刺せ」と聞こえていたようです。
「つづれ」とは 破れたところを継ぎはぎした粗末な服、「させ」とは縫い物の意味で、「肩や裾を今のうちに繕っておいて」と、虫たちが冬支度を導いてくれました。
昔と言っても江戸時代から昭和の中頃までの農民や庶民たちは破れをつぎ、はぎ合わせた今でいうとボロボロの着物を大切に着ていました。
今では「昭和も遠くなりにけり」なんて言葉も聞こえてきますが、戦前、終戦直後までは子供たちは破れたところにつぎあてをしてもらった服で走り回っていました。
寒さが増してくる前に囲炉裏端で秋の夜長僅かな光の中で衣類のほころびをつぎはぎして冬に備えている貧しい中にも不思議と温かみさえ感じられる母親の姿が眼に浮かぶようです。
ちなみにキリギリスは「ギーッチョンギーッチョン」と機織りのように聞こえることから、別名を機織り虫というそうです。
そんな昔の農民や庶民たちが貧しい中でもこのツヅレサセコオロギの鳴き声を冬支度への促しの声として聴いていたその精神性の豊かさには感服するばかりです。
このようにツヅレサセコオロギの声は秋の終わりを告げるとともに冬の足跡とも言えるかもしれません。
そこであの有名な童謡の「虫のこえ」を載せておきます。
あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ
きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ
結詞
日本人は四季の中でもっとも秋を愛し、その秋の中でも晩秋を最上のものとして感じてきました。
秋の和歌も調べてみると、晩秋を詠んだものが圧倒的に多いのです。「もののあはれ」や「侘び」「寂び」の精神は、生々流転のいのちへの哀歌であると同時に賛歌であるともいえるでしょう。
地球温暖化のせいか未だに「真夏日」を記録する日もありますが、目線を地面に向ければ、虫たちばかりではなく秋草が小さな花をつけ、そしてそれぞれが実や穂をつけ、懸命に次の世代へとその命をつなぎ、自らは枯れていく姿は私たち日本人の琴線に深く響き「もののあはれ」を感じさせてくれます。
秋の夜長、冷え込みとともに冬の到来を予感した虫たちは、朝晩の気温の低下を感じながら弱々しく鳴く虫の声のコーラスを楽しむひとときは、人恋しさとどことなく切なさが心に沁み入ってくるものです。
季節の味わいはそんな終わりゆく「名残り」とともに季節の移ろいの僅かな「兆し」の中にもあるように思います。
日々多忙と喧騒の中に生きている現代人の私たちにとって、そんな繊細な感覚を忘れてはいけない情緒ではないでしょうか。
さて秋の深まりとともに暦は二十四節気は「霜降(そうこう)」そして七十二候は「霜始降(しもはじめてふる)」と移っていきます。記録的な猛暑、酷暑だった2024年もその頃には、だいぶ秋めいた陽気になりそうです。
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