鶺鴒鳴|せきれいなく|2023年|鶺鴒石|放生会|筥崎宮

歳時記
鶺鴒 鶺鴒鳴 せきれいなく

11日は雑節の「二百二十日」です。日本列島は次々と台風が襲来しています。これも地球温暖化による異常気象でしょうか。今後もエルニーニョ現象と相俟って、日本の南には台風の子供たちがたくさんあるようで、まさにこれからが台風シーズンの本番といった様相です。
少しずつではありますが、着実に秋が近づいてくるこの頃ですが、暦は13日より白露の次候「鶺鴒鳴(せきれいなく)」と移っていきます。
そして12日からは博多三大祭りの筥崎宮「放生会(ほうじょうや)」が始まります。

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鶺鴒鳴(せきれいなく)

さて、13日より七十二候の「鶺鴒鳴(せきれいなく)」を迎えます。
この頃から鶺鴒がチチクチチクと鳴き始める頃です。

鶺鴒はスズメ目セキレイ科の鳥の総称で、水辺を好む鳥で、古くから日本にいる身近な鳥です。
そして、イシタタキをはじめ、イシクナギ、イモセドリ、イワクナギ、イワクナブリ、ツツ、マナバシラ、ニワタタキ、イワタタキ、カワラスズメ、オシエドリ、コイオシエドリ(恋教え鳥)、トツギオシエドリ、ツツナワセドリなど多くの別名も持っています
また鶺鴒という字は「背中を伸ばした美しい姿勢の鳥」という意味があるそうです。

逃げない鳥」と言われるほど人を恐れず、近づいても距離を空けて歩くだけで、割と警戒心が薄い鳥として知られますが、実はかなり気が強い鳥のようで、攻撃的になると烏など大きな相手にも執念深く向かっていく姿を見かけることもあるそうです。

日本でよく見られる鶺鴒は背中は灰色で腹は白いハクセキレイです。長い尾を地面を叩くように上下に動かすので見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。飛び方もまた特徴的でまるで波乗りをしているかのように上下しながら飛んでいきます。
よく見かけるハクセキレイの他、セグロセキレイ、そして渡りの途中のキセキレイ、ツメナガセキレイやイワミセキレイなどが日本で見られる鶺鴒です。
沖縄ではハクセキレイはもちろんのこと、キセキレイが本島北部の水辺でよく見かけられるようです。

キセキレイ

その中でも、とりわけよく見かけるハクセキレイとセグロセキレイについて見分け方などをお話ししておきましょう。

ハクセキレイ

ハクセキレイ

一番よく見かける鶺鴒でもともとユーラシア大陸からアフリカ大陸まで世界に広く分布しています。以前は北海道や東北でのみ繁殖し、秋になると本州に渡ってきて冬を越していましたが、現在ではその適応性の高さからか北海道から沖縄まで全国にその生息域を広げています。

セグロセキレイ

セグロセキレイ

日本の固有種でもともと渡りはせずに古来から日本で生息していた鶺鴒です。最近ではハクセキレイにその生息域が脅かされているのが心配です。

見分け方

一番わかりやすい見分け方は、目の下が白いのが「ハクセキレイ」目の周りが黒いのが「セグロセキレイ」です。

日本書紀と鶺鴒

さてここでちょっと艶っぽいお話をひとつ。
別名の中でご紹介したコイオシエドリ(恋教え鳥)の由来は、日本書紀の中に「男女二柱の神イザナギとイザナミが天から降りてきて日本の国を産みだそうという時、イザナギとイザナミはその国産み(子作り)の方法が分からないでいると、鶺鴒が現れ尾を上下に振る動作を見せたところ子作りの仕方を知った」という子作り(=国や神)の伝承からきています。
現代でも夫婦和合・子孫繁栄のシンボルとして、結婚式場や披露宴会場などの調度品の一対の鶺鴒を配した「鶺鴒台」が飾られていることもあります。
また日本発祥の地とされる淡路島にある「おのころ島神社」には「鶺鴒石」という人気のある縁結びのパワースポットもあり、参拝者で賑わっています。

おのころ島神社 鶺鴒石

以前は鶺鴒のその動作は愛くるしくそして可愛らしく感じていたのですが、この話を聞いてまた違ったイメージも持ちました。

放生会(ほうじょうえ・ほうじょうや)

さて、秋の風物詩のひとつとして「放生会(ほうじょうえ・ほうじょうや)」があります。
捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式で、仏教の戒律である「殺生戒」を元として、日本では神仏習合によって神道にも取り入れられました。

放生会は古代インドに起源をもつ行事で、お釈迦様の前世とされる流水(るすい)長者が、大きな池で水が涸渇して死にかけた無数の魚たちを助けて放生したところ、魚たちは三十三天に変わり流水長者に感謝しその恩に報いたというお話が基となっています。
そのお話が中国に伝わり、中国天台宗の開祖智顗が、漁民が雑魚を捨てている様子を見て憐れみ、自身の持ち物を売っては魚を買い取って放生池に放したことが寺院で行なわれる放生会の基となっています。

日本では殺生を戒める風は以前から見られましたが、養老4年(720年)の大隅、薩摩両国の隼人の反乱で誅滅された隼人の慰霊と滅罪を欲した八幡神の託宣により宇佐神宮で放生会を行ったのが始まりで、貞観4年(863年)京都の石清水八幡宮でも始まり、その後天暦2年(948年)には勅祭(天皇の命によってとり行なわれる祭事)となりました。
その後、明治政府による神仏分離のため放生会は仲秋祭や石清水祭と名前を改めさせらり、催行日も変更を余儀なくされました。

現代では収穫祭・感謝祭の意味も含めて春または秋に全国の寺院や、宇佐神宮(大分県宇佐市)を初めとする全国の八幡宮(八幡神社)で催されています。
京都の石清水八幡宮は三勅祭とも呼ばれ、福岡県の筥崎宮のものは「ほうじょうや」と呼ばれ、博多どんたく、博多祇園山笠と並ぶ博多三大祭の一つに数えられ、多くの参拝者を集めています。

福岡の筥崎宮の放生会大祭(9月12日~18日)

筥崎宮

筥崎宮は筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれ、大分県の宇佐神宮、京都府の石清水八幡宮とともに三大八幡宮と呼ばれています。
鎌倉中期「蒙古襲来」の際、俗にいう “神風” が吹き、未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても知られ、足利尊氏、豊臣秀吉など名だたる武将も参詣したといわれています。

放生会

さて筥崎宮の放生会は九州最大の秋祭りと言っても過言ではないほど、7日7夜にわたるお祭りです。
その放生会供養祈願祭は「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りで、その起源は「合戦の間多く殺生す、よろしく放生会を修すべし」という八幡大菩薩の御神託によるもので、千年以上続く最も重要な神事であり、あらゆる生き物の霊を慰め、感謝の気持ちを捧げるとともに、さらなる商売繁盛、家内安全を祈る神事です。

放生会 露店

期間中、御神幸(御神輿行列)をはじめとする様々な神事や数多くの神賑わい行事が執り行われ、参道にはお化け屋敷や射的・ヨーヨー釣り・新ショウガなど約500軒もの露店が軒を連ねて、連日連夜大変な賑わいで、期間中のべ100万人が訪れると言われています。

とりわけ今年の筥崎宮放生会大祭は、2年に一度(西暦奇数年)行われる『御神幸(ごじんこう)』と呼ばれるお神輿行列が行われる年にあたります。

放生会 おはじき

ところで、放生会は一般的には「ほうじょうえ」と読むのですが、唯一、筥崎宮の放生会だけは「ほうじょうや」と読みます。
その理由は、博多弁では「なんしよーとや」(なにしているの?)など文末に「や」を付ける場合も多いので、その名残ではないかという方言説や「放生(夜)」とかけているという説もあるようです。

結詞

厳しい残暑が続く毎日ですが、ふと気づくと朝晩の気温がやや下がっているように感じます。
また空はモクモクとした入道雲と筋を引くような秋の雲(巻雲・巻積雲・高積雲)とがせめぎあい、静かに、そしてしっかりと秋は近づいてきています。
その秋の雲である「巻雲」は筋雲とも呼ばれ、「巻積雲」や「高積雲」は鱗雲、羊雲と呼ばれていていずれも高い位置で出来る雲たちです。
天高く」と言われるように秋の空が高く感じられるのはそんな空の様子からきています。

さて春にやってきたツバメ達もその子供たちを連れて、そろそろ南へと帰っていく頃となります。

玄鳥去 つばめさる

暦は白露の末候「玄鳥去(つばめさる)」へと進んでいきます。

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