カレンダーは10月。和風月名で「神無月(かんなづき・かみなしづき)」となりました。
10月は旧暦(2022年は10月25日が旧暦の10月1日)では神様たちが出雲の国に行ってしまい、各地が留守になってしまうという意味が定説です。
しかし一方、神様たちが集まる出雲の国では「神在月(かみありづき)」と言われています。
諸説ありますので、出雲大社を中心にもう少し詳しくお話しすると・・・
全国八百万の神様たちが出雲の国へ参集します。
その目的はいったい何なのでしょうか。
それは、来年の天候、それに伴って農作物や酒の出来などについて話し合う会議のためです。
いわば、神様版サミットというわけです。
その議題の中でも人の運命や「縁」などは重要な議題の一つになっていますので、出雲大社は縁結びの総本山と言われています。
出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)
ではどうしてその会議の場所が出雲大社なのでしょうか。
神様たちが年に一度出雲大社に集まるのは、そのご祭神に大きく関係しています。
有名な天照大神(あまてらすおおかみ)が天の象徴であるのに対して、出雲大社のご祭神な大地を象徴する大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。
大国主大神は大勢の子供たちがいます。その子供たちを全国に配して各地を管理させていました。
その子供たちが年に一度出雲大社に戻り、今年の報告や来年の相談をしていました。
現代風に言えば、年に一度の「里帰り」の際に行われる「家族会議」のようなものだと言ってもいいと思います。
やがてその里帰りに他の神様たちも一緒に出雲に参集することになったと言われています。
神様たちの出雲行きのスケジュール(日付はいずれも旧暦)
10月1日 神送り
各地より出雲へ出発
各家庭では神様たちのお弁当としてお餅やお赤飯をお供えします。
10月10日 神迎え
神様たちが出雲に到着
出雲の国・稲佐の浜にて神迎神事(かみむかえしんじ)が行われます。
その後、「神迎の道」を出雲大社に向います。
10月11日~17日 神在祭(かみありさい)
出雲大社上宮にて神議(かむはかり)という会議を行います。
会場の出雲大社の上宮ではお祭りが執り行われ、神様たちの宿泊所となる境内の19社でも連日お祭りが行われます。
一方、地元の人々は「お忌みさん」と呼んで、神々の話し合いの邪魔をしないよう、「神在祭」の間は静かに暮らすことになっているそうです。
10月17日 神等去出祭(からさでさい)
一般的には、一連の会議を終えて、神様たちはすぐに地元に帰るわけではなく、出雲大社を出発したら出雲の国へ向かわれます。
そして日御碕神社や朝山神社、神原神社、神魂神社、多賀神社、佐太神社などを巡られます。
とりわけ、佐太神社は八百万(やおよろず)の神々の母神である伊弉冉尊(いざなみのみこと)の大元の社で、その背後の山に陵墓を祀っていると伝えていました。
陰暦十月は伊弉冉尊(いざなみのみこと)が亡くなられた月であるという説により、八百万の神々は毎年この月になると佐太神社にお集まりになり母神を偲ばれるのだとさています。
命日に合わせての里帰りの際の墓参と似ています。
最後に、全国から出雲へと参集された八百万神が最後にお立ち寄りになるのが、「万九千社(まくせのやしろ)」です。
八百万神は万九千社において、出雲における神議り(かみはかり)を締め括り、神宴(直会、なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお帰りになるとされています。
10月26日 第二神等去出祭
すべての行事を終えた神様たちは出雲の国を出発し各地への帰途につきます。
10月末日 神迎え(帰宅)
各家庭ではお餅や作物を入れたすいとんなどを供えます。
さて、その期間出雲以外の各地には神様はいなくなるのかというとそうではなく、留守番をしてくれる神様もちゃんとおられます。
恵毘須神(えびすしん)を筆頭に金毘羅神(こんぴらしん)、竈神(かまどしん)、道祖神(どうそじん)などがその神様たちです。
これらの神様たちが多くの神様たちが留守の間私たちをしっかり守っていてくれています。
そのためこの時期に「恵比寿講(えびすこう)」を行う地方も多くあるようです。
結詞
ちなみに、ぜんざい発祥の地が出雲だということをご存じでしょうか。
出雲では神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を振舞っていました。
その「じんざい」が出雲弁(ずーずー弁)で訛って「ずんざい」、さらには「ぜんざい」となって、京都に伝わったといわれています。
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